「人に認められたい」認められたいという欲求は悪いもの?

心理・メンタル

こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。

人が社会の中で生きる以上、切っても切れないものがたくさんあります。そのうちのひとつが今回のテーマでもある「認められたい」という欲求。承認欲求です。

承認欲求は色々なところで悪者扱いされることが多く、その響きを聞くとついネガティブな連想をしてしまう人も多いのではないでしょうか。

今回は、承認欲求は本当に悪いものなのか?そもそもなぜ人は承認を求めるのか?などの考察や、承認欲求に対する考え直しや付き合い方など、テーマに沿った内容を深堀して考えていきたいと思います。

参考ケースなども織り交ぜて進めていきますので、ぜひ自分の生活に置き換えて一緒に考えてもらえたら幸いです。



承認欲求はなくなることはない

「承認欲求はなくした方がいい」「承認欲求はよくないもの」。多くの方がそんな話を聞いたり動画や記事を見たことがあるのではないかと思います。

認められたいけど認めてもらえないという葛藤を抱えながら、でも承認欲求は悪いものという周りの風潮から圧力を感じてしまう。そうして余計に苦しくなってしまう人もいるのではないでしょうか。「認められたいって思っちゃけないの?」なんてつぶやいてみたりして。

今回まず最初にお伝えしたいこととして、人間から承認欲求がなくなることは永遠にありません。良い悪いという前に、それは呼吸をするように、食事をするように、健康な人であれば人として生きていく上で自然なものであり必要なものだからです。

自分の価値がわからない。自分の価値を知り自信を持つためには?
こんにちは。心理カウンセラーの幸跡です。 どんな人でも、些細な出来事から突然自分の価値を見失ってしまったり自信をなくしてしまうことがあります。自分を好きになれない、自分の価値がわからない。これは一番の不幸であり、何をする活力も湧かないつらい...

自分を知るために必要な承認欲求

そもそもなぜ人は承認を求めるのか。それは平たく言えば自分の価値を実感するため、自分を好きになり受け入れるためです。

人は承認や賞賛によって自分の成長や強さを知り、社会における貢献度や所属意識、また自分の役割などを認識しそうして総合的な生の価値を実感します。多くの方が体験していると思いますが、認められたときにこみ上げる自信や理解してもらえたときの喜びはとても大きく、安心感や肯定感にもつながりますよね。

ではもしその承認欲求がなくなってしまったらどうなるでしょうか。努力や成長、成功体験や貢献の喜びなどの大切な意味を見失い、それはつまり人を人たらしめる部分の欠落を意味しています。極論を言えば、承認欲求があるからこそ自分はどういう人間なのかを知るきっかけが生まれ、それと向き合い認め受け入れていくことができるんです。

頭が悪い、空気が読めない。自分のことが嫌いな人はどんな人?
こんにちは。心理カウンセラーの幸跡です。 他人からの一言や環境による圧力、様々な理由で自分が嫌いになり一気に景色が白黒になってしまう瞬間があります。そしてたとえ立ち直ったとしても、その壁は次々と容赦なく立ちはだかってきます。 自分のことが好...

承認欲求の向かう先

人間性心理学の第一人者、アメリカの心理学者マズローによると、人の欲求には段階がありひとつの欲求が満たされるとまた次の欲求が生まれるとされています。

欲求の5段階

1、生理的欲求
2、安全欲求
3、愛と所属の欲求
4、承認の欲求
5、自己実現の欲求

ここからわかることは、身体的にも精神的にも不自由がなく、治安や文化的にも安全が保たれ、他人からの愛や社会における居場所などの欲求が自分なりに満たされている人が、その次に求めるものが承認の欲求であるということ。
また一方で、最後の欲求である「自己実現」に向かうために満たされる必要がある欲求でもあるということです。

物事や人の本質を見極め、見抜く!そのために必要な考え方
こんにちは。心理カウンセラーの幸跡です。 「本質を見抜く」「本質を見極める」「本質を理解する」。いろいろなところでその重要性が語られ、それは物事を見通すために必要なスキルのような印象もありますよね。 本質とはざっくりと言えば「Aがあるからこ...

◆自己実現のために承認欲求は必要

人間には都合の良いところがあり、満たされた欲求や叶った欲望については風景化され心の潜在的な部分にしまわれます。そのため普段意識することはありません。目や耳・内臓などの器官が正常に動いていること、赤信号ではみんな止まりある年齢になれば学校へ行くこと、家族に愛されて育ち組織に属し社会に貢献ができていることなど、それらの“当たり前”を普段意識することがないように。

ただ人は誰もが今の自分を好きになりたい、自分を受け入れ「今のままの自分でOK」という状態になりたい、どんな自分も自分であると統合され安定した状態でいたいと願います。そして小さな細胞単位から高次な精神活動までが相補的にその状態へと向かいます。簡単に言えばこれが最後の「自己実現」の欲求が満たされている状態です。

そのために承認への欲求が生まれそれを満たすために色々な感情や行動へと繋がっていくのですが、ではどうしてその必要なはずの承認欲求が問題視され危険視されてしまうのか。もう少し掘り下げて考えていきます。

毎日同じことの繰り返しでつまらない?「自分の世界」を知ろう。
こんにちは。心理カウンセラーの幸跡です。 仕事や人間関係、そして自分の人生。毎日同じような仕事をして同じ人と付き合い、かけがなえのない自分の人生を有意義に過ごせていない気分になってしまう。そんなときが誰にでもあると思います。 そんな考えから...

他人には与えられない承認がある

多くのところで承認欲求が問題視され危険視される理由。それはたったひとつ、人間的な価値すら他人に承認を求めてしまうからです。

自分の人間的な価値判断を他人に求めること、それはつまりこんな風に言っているんです。「自分では自分の価値がわかりません。なのであなたの物差しで、私の価値を決めてください」。その人の主観で決められた価値に沿って生きるということと同じことです。それはもはや自分の人生ではありません。

自分の価値を他人に委ねることを依存といい、逆に自分の価値を自分自身で決める精神的な姿勢を自立といいます。承認欲求が問題視される原因はまさにこの人間的な価値の他人への依存」にあります。例えばこんな場面を想像してみてください。

ケース

仕事であるチームを任されたAさん。
Aさんはこれまで中々うだつが上がらず重要なポストを任せてもらえず、自分にも自信が持てませんでした。しかし上司がBさんに代わってから、初めて資質を認めてもらい現在のチームを任されることに。

Aさんは上司であるBさんに感謝と敬意を示し、期待に応えられるよう今まで以上に仕事に取り組みます。その後も、ことあるごとにAさんはBさんから褒められ賞賛され認められ続け、チーム運営も円滑に行い自分にも自信が生まれ仕事が楽しくなっていきました。

そんなある日、Bさんに頼まれた仕事を期日よりずいぶん早く仕上げ終了の報告をしました。いつもなら雑談も交えながらしっかり褒めてくれるBさんでしたが、この日は目も合わせずに「そこに置いといて、ありがとう」と一言。
最初は体調でも悪いのかなと思いましたが、それからしばらくの間そんな塩対応が続き最終的にはプラスの部分はやって当たり前のようにスルーされ、マイナスの部分のみ指摘をされるようになりました。

そんな毎日の中、だんだんAさんの中でこんな気持ちが芽生えてきました。
・毎日頑張っているのにどうして褒めてくれないのか
・Bさんが変わってしまったようで悲しい
・一体誰のためにやっていると思ってるんだ
・何か気に触ることをしてしまったのか
・仕事にやりがいや張り合いが感じられない

そして、「褒めてもらえないし認めてもらえないなら頑張る意味がない」とAさんはサボるようになりました。
そしてBさんの些細な言動も鼻につくようになり、当初あったようなBさんへの感謝や敬意はもはやなくなり心理的な距離もどんどん離れていきました。
(その後、Bさんは身内の不幸でここしばらくの間気分が落ち込んでいたことが判明)

一生幸せになれない、自分だけ幸せになれない。それは自分の決断。
こんにちは。心理カウンセラーの幸跡です。 仕事や学校に家庭の諸問題、家族や恋人・友人などの人間関係、人生における悩みは尽きることはありません。そして大人になるにつれて、幸せが遠く自分には縁のないものかのように感じてしまうときもあります。 「...

◆もう一つの承認の仕方

このケースでAさんが仕事をサボるようになってしまった原因は明確で、Bさんに認めてもらえなくなったからです。つまりAさんが仕事をする目的は、いい仕事をするためでも成長するためでもなく、Bさんに認めてもらうためだったということです。それが叶わないと感じるようになった今、人間的な価値すら見失い途方に暮れてしまいます。
※Bさんの対応や指導方法にも問題はあったかもしれないですが、今回は記事のテーマにそってAさんに視点をあてて考えていきます。

ここで先ほどの承認欲求が問題視・危険視される理由を思い出してほしいのですが、他人への強すぎる依存から起こった今回のことでAさんの中にあった「認めてもらえるなら頑張る、認めてもらえないならサボる」という信念は強化されてしまい、おそらくこの後誰も見ていないところでゴミを拾うこともしなくなるでしょう。もしかしたらBさんにチームのリーダーを任される前のように、自信がなくなり塞がりがちになっていくかもしれません。

ただここで、Bさんに自分の価値を委ねず少しでも自分で自分を承認できていたらどうでしょうか。今のチームを任されたこと、しっかりチーム運営を行えていたこと、仕事を楽しいと感じられるようになったこと。こうしたひとつひとつの成功や実績をしっかり実感して、自分で自分の価値を認めることができていたら。

Bさんから賞賛の声がなくなったとしても、自分の成長やチームの実績や会社への貢献、またチームメンバーとの人間関係など、十分自分を承認できている要素がたくさんあることに気づけていたと思います。社会的な評価と人間的な評価の違いをしっかり理解できていれば、Bさんの変化に対しても対等なひとりの人間として「何かありましたか?」と事情を聞き出せていたかもしれません。



自然な笑顔は人を幸せにする。そこから学べる人を救うための方法。
こんにちは。心理カウンセラーの幸跡です。 誰かを救い、誰かを守り、誰かを幸せにしたい。生きている中できっと誰もが体験するだろう大切で尊い気持ちです。 その気持ちは、しっかり相手に届きそしてその人のためになるべきものですが、使い方や自分の状態...

評価は他人から与えられるという思い込み

親からの躾・学校の成績・職場での業績評価など、これまで生きてきた教育や文化により評価は他人から与えられるものということ植え付けられています。確かに進学に影響する学校の相対的な成績や利益の損得に繋がる会社の業績などは、評価する側とされる側がいてそのシステムは必要です。

ただそれはあくまで社会的に必要な評価であって、その人の人間性を評価するものではありません。ここを混同してしまうことで、先ほどのAさんのように本来関係ないはずの理由で仕事がつまらなくなったり対人関係が悪化したりと健全な毎日から遠ざかってしまいます。

評価や承認はつい他人から与えられるものと思ってしまいがちですが、自分の人間的な部分は、他人には決して評価できません。自分自身の承認も決して他人からはもらえません。形式上何かしらの評価や承認があったとしても、それはその人の物差しで測ったその人から見たあなたです。では、果たしてその人はあなたという人間をどれほど理解しているでしょうか。

他人に興味がない人、自分にしか興味がない人。それは悪いこと?
こんにちは。心理カウンセラーの幸跡です。 「他人に興味を持ちましょう」「周りのことに関心を持ちましょう」。 誰もがそう教育を受けて大人になります。ただそれはあくまで道徳上の独り歩きとなり、なぜ他人に興味を持つべきなのかなぜ自分にばかり興味を...

◆依存からの脱却

他人に自分の価値を委ねるならば、良い評価だけではなく悪い評価をされたとしてもそれを受け入れる責任を果たさなければなりません。「私を評価してください、でも悪い評価はしないでください」とは言えません。そして良い評価を得るために、多くの場合はAさんのように自分の人生を脇に追いやり仕事や生きる本質を見失ってしまいます。

そんな賭けのような、他人任せの基準で自分を判断しなくてもいいんです。もっと小さな成功を自分の中で噛み締めて自分で自分を認めてあげてもいいんです。

この先も承認欲求がなくなることは永遠にありません。どうか他人に依存せず、もっと自分で自分を認めてあげることでその欲求を満たしてほしいと思っています。

近道も遠回りもない。誰もが実践できる本当の幸せへの近道!
こんにちは。心理カウンセラーの幸跡です。 何かに失敗してしまったときや思うように成果をあげられないとき、ついつい「このやり方は遠回りだったかな」「他に近道があったかな」などと考えてしまいがちですよね。 ただ何が近道で何が遠回りなのか、またそ...

最後に

承認欲求はよくないもの。そんな声が高まる中、そこには「承認欲求自体が悪」という一定の誤解も含まれているように思います。この世界でひとりきりにならない限り、承認欲求がなくなることはありません。そしてその欲求は確かに自分を前に前に進めてくれる原動力になります。

今回のテーマは承認欲求を否定するものではなく、「問題はその欲求の満たし方である」ということ。誰かに背中を押してもらいたいとき、自分の選択を信じられないとき、予期せぬトラブルが続き理想と現実のギャップが大きく開いてしまうときなど、自信が持てないときはつい他人に認められることで「大丈夫、自分は正しい」と安心したくなります。これは誰にも起こる正常な心理作用です。

ただたとえばその評価が自分の望むものでなかったとき、または認めてほしいときに周りの誰も認めてくれないとき。そんなときに思い出してほしいのは「自分で自分を認めるという選択肢もある」ということなんです。そして自分の努力や苦悩を一番知っている自分自身から認められることが、一番効果的で信頼ができて、他人への依存から自立へと促してくれるということです。

この記事を読んでくれている方は、きっと何か認めてほしいこと、理解してほしいことがあるのではないかと思います。そんなときは、まずしっかり自分の声を聴いてください。心の中で、周りの誰でもなくあなた自身に認めてもらいたいと訴えている声があると思います。

自分の承認欲求を大切にして、どうかそれを生きる活力に変えていけることを願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。



タイトルとURLをコピーしました