愚痴を言う人や不満ばかり言う人。その心理を知って適切な対応を!

コミュニケーション

こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。

愚痴をよく言う人、何かあるたびに不満をもらす人。きっとひとりは心当たりがあるのではないかと思います。

自分が安定しているときは聞き役になるのもそこまで苦ではないかもしれません。ただ自分が辛いときやイライラしているとき、落ち込んでいるときなどはその愚痴や不満が鬱陶しく不快に感じることもありますよね。

なぜ多くの人が愚痴や不満をもらすのか、そもそもなぜ愚痴や不満が生まれるのか。また愚痴ばかり言う人とうまく付き合っていくにはどうすればよいのか。

具体的なケースも踏まえつつ、今回は愚痴や不満ばかりを言う人の心理の考察から、どのように対応するのが適切なのかということについて考えていきたいと思います。



不安からくる存在の証明

仕事や家庭、友人・恋人との関係など、周りからの要求と自分の欲求との間に葛藤が生まれると、不満が募りそれが愚痴や不平という形で表現されます。人の行動にはどんなものにもそれぞれ理由がありますが、このことにもしっかり理由があります。

愚痴や不満を言う目的

まず最初に、いつも愚痴や不満をもらしそれがその人の特性となっているような人。そのような人は、その愚痴や不満についての改善や助言を求めているわけではありません。

往々にして、そのときの目的はいずれかふたつです。

①自分のほしい回答をもらって、相手を味方につける
②否定的な回答をもらって、相手を敵視する口実にする


相手を味方にする、敵とみなす。それぞれ真逆のように思えますが、どちらの場合も本質的なところは同じ。つまり、自分の存在を証明するための行為ということです。

「それは正しい、私もそう思う」など肯定的な回答の場合は、もちろん自分の主張への理解がそのまま自分の存在の理解へと繋がります。また「それは違う、私はそうは思わない」などと否定的な回答だったとしても、自分に対しての注目という点や相手との間に「対立」という関係を見出すことでそれもまた自分の存在証明に繋がります。

それでは、なぜ「愚痴を言う」という形で自分の存在を証明する必要があるのか。それはその裏に潜む不安を補うためです。

それはこの社会で自分の居場所を保つことへの不安であったり、他人に愛されなくなることへの不安であったり、承認されなくなることへの不安であったり、その人の「人としての尊厳」を揺るがすような不安です。

愚痴を通して自分の存在を確認する

飲み会などでのお決まりの愚痴や不満は、場を和ませたり笑いのネタになったりとネガティブな要素はあまり感じられないと思います。「いつも強そうに見えるあの人がこんな愚痴を言うなんて」と逆に親近感が湧くこともありますよね。

ただそれが「いつも、常に」という人の場合はどうでしょう。

社内で何か新しい動きがあったとき、家庭内で予想外の出来事が起こったときなど、建設的な思考の前にまず愚痴や不満が出てしまう人。

そのような人の背後にはいつも「不安」がつきまとい、それを払拭するために愚痴や不満という方法を選択してしまいます。それに対する相手のリアクションを通して「自分は確かにここにいる」という実感を得るために。

いつも愚痴や不満を言う人はどこか歪んだ性格であったり知的に振る舞おうとしたり自分勝手なイメージがあると思います。ただ裏に潜むこうした弱さや臆病さや保守的な部分、また愛情や居場所などに人一倍敏感で繊細な人ということを忘れないことで、「何て言っているか」ではなく「何が言いたいのか」という本質的なところに耳を傾けられるようになると思います。

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理想と実体験のズレが生む愚痴や不満

ではどうしてそのような不安が生まれてしまうのか、そして現実社会に不適応さを感じてしまうのか。それは、これまでの人生で確立してきた「自分はこういう人間だ」という感覚(自己概念)と、それに対して実際に体験していることのズレが大きすぎるからです。

適応する手段として使われる愚痴や不満

そのズレから生まれる感覚は、何だかわからないモヤモヤや言葉にならない悶々とした気持ちとなって残ります。人はこの蓄積からとても傷つきやすく精神的に不安定な状態になり、劣等感や不全感、抑うつ的な気分になったり両価的な気持ちに葛藤が生まれたり、集中力や創造力の欠如、また食欲不振や不眠など、ネガティブなものとして思考や態度、身体にも現れてきます。

ただ人の精神はこうした不安定な状態をいつまでも良しとせず、屈服することはありません。何とか今の状況に適応する方向に働きます。ここで怒りという形で自分を表現する人もいるし、泣いたり落ち込んだりして自分を理解してもらおうとする人もいます。

回の愚痴や不満というのもその表現形態のひとつ。今の不安定・不適応な状態を抜け出し自分の正常性を保つためのひとつの手段として、愚痴や不満をもらし続けるんです。そして相手からの肯定・否定をもって自分への関心や社会の中での自分の居場所を確認しようとします。

ケース:同じ会社に長く勤めるAさん

たとえばこんな状況を想像してみてください。

ある年、会社内でひとつの目標が決まり全社員その目標達成に向かって努力していました。Aさんはその目標に向けて積極的に課題を取り合げ方針や対策を立て、目標達成に大きな貢献をして社内のエースとして高い評価を得ていました。

そして次の年を迎え、昨年とはまったく別の目標が追加されました。昨年の仕事は継続されつつも会社の注目や評価対象はどんどん新しい目標に移行していきます。そして会社はどんどん大きくなり新入社員も増え、次々と新しい仕事が増えては消えるという繰り返しが行われていきました。

当時の仕事では高い評価を得ていたAさんでしたが、目まぐるしく変わる運用への疲れや新入社員たちのように新鮮に0の視点で物事を見られなくなっていたこと、また相次ぐ同期の退職などもあり、だんだんと仕事への意欲低下やそれに伴い評価も下がっていきました。エースと呼ばれていたような当時の面影はもはやありません。

そして何年か経った今、Aさんはすっかり卑屈になり愚痴っぽくなり、口を開けば「あの頃はよかった」「無駄な仕事が多すぎる」などと不満を言う人になっていきました。


当初は仕事にもやりがいを感じ自分が会社に大きく貢献をしていると実感できていたAさん。ただ何年か後には、何かあれば愚痴や不満を言う人へと変わってしまいました。Aさんには何が起きたのでしょうか?

現在の体験の変化と矛盾

エースと呼ばれ順風満帆だった頃、周りからの評価や貢献感などから、Aさんの中には「会社は居心地がいいところ」「自分は仕事ができる」「自分は評価されるべき」という自己概念が形成されていたはずです。そして実際に体験していることがまさにその通りだった頃は、何の不安も不自由も感じずに過ごせていました。

ただ、すごい勢いで目標が変わり運用が変わり周りの顔ぶれも変わり、そうした変化に追いつけずに言わば取り残されてしまった現在のAさん。

今のAさんが実際に体験していることは、当時のものとは雲泥の差になっています。それは会社に対する不信感であったり、現在の業務を疑うことなくこなす新入社員への劣等感であったり、業務についていけない自分への自己批判であったり。

このように体験することが変わったとしても、当時に築かれた「会社は居心地がいいところ」「自分は仕事ができる」という自己概念は変わらず残り続けます。

人は自分の自己概念と合致する体験しか意識化することができません。つまり、「会社は居心地がいいところ」「自分は仕事ができる」という状況に合う体験以外はすべて意識から排除されてしまうということです。それが実際に体験していたことだとしても。

自分を守るために必要な愚痴や不満

新しい業務についていけないと感じる、わからないことを誰かを聞く。仕事を続けている以上Aさんも必ず今でもそうした体験はしているはずです。ただそれは「会社は居心地がいいところ」や「仕事ができる自分」を否定するでことあり、自己概念と矛盾することになります。

なのでそうした体験は意識化されず、ただ言葉に言い表せられないモヤモヤとして心の中に蓄積されていきます。

そうした積み重ねが現在の不安や憤りとなるのですが、いつまでもその状況のまま耐えられるほど人は強くありません。では今の状況でAさんがそのように感じるにはどうすればよいでしょうか。現在の体験を自分の自己概念と一致させるためにはどうすればよいでしょうか。

そう。「あの頃はよかった」「無駄な仕事が多すぎる」と愚痴をこぼせばいいんです。自分がエースと呼ばれていたあの頃を持ち出したり、仕事内容に納得し把握できている状況のみを良しとする。そうして愚痴をこぼしながら、過去を崇拝し現在を否定し続ければいいんです。そして今では幻想となっている「会社は居心地がいいところ」「自分は仕事ができる」という状況を保とうとします。

Aさんの例に限らず、常に愚痴や不満を言う人は、少なからずこうした言わば理想と実際の体験にズレ感じておりそれを補うために愚痴や不満を使っています。

そこには良い悪い、正しい間違っているという道徳的な基準はなく、地震や火災から身を守るように、反射的に暗い道を避けるように、ただ自分を守るためにその人には必要なことなんです。



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心理的に安全な場所をつくってあげる

ここまで愚痴や不満を言う人の特性や心理について見てきましたが、ここからはそのような人たちと接するとき、どのような対応をしたら良いのかという点について考えていきたいと思います。

本当に言いたいことは何か

これまでの内容で、何かあるたびに愚痴や不満を言う人は「愚痴や不満によって自分を守る必要がある」ということがわかってもらえたと思います。

そうであれば、すべき対応はただひとつ。「自分を守る必要もないし、『○○は間違っている』などと言い張る必要もない」ということを実感してもらうことです。こちらから心理的に安全な空間をつくってあげることです。

そのためには相手の愚痴を肯定したり否定したりという反応は逆効果になります。肯定すればそれは相手の歪んだ自己概念を肯定することになり、他のところで愚痴を主張するときの武器として使われてしまうかもしれません。

否定したとしてもそれを受け入れる準備ができていない相手には何も響きません。それどころか、敵対関係というひとつの関係性が築かれてしまい、愚痴を言えば注目を得られるという体験を与えてしまいます。

肯定・否定どちらにしても、「愚痴を言うことで存在証明ができる」という信念は強化されどんどん固定されていってしまいます。

それでは具体的にどうすれば「自分を守る必要もないし、『○○は間違っている』などと言い張る必要もない」ということを実感してもらえるのか。それは自分なりの肯定や否定などの評価は一切加えず、相手が本当に言いたいことを受け入れてただ返してあげることです。

それはつまり、「何て言っているか」ではなく「何が言いたいのか」を聴き取りそれに返答してあげるということです。更に言えば、頭で考えられている論理的な部分ではなく、その言葉にくっついている感情的な部分に対して返答するとも言えます。

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愚痴からの気づき

先ほどのAさんの例で見ていきたいと思います。たとえば「無駄な仕事が多すぎる」と愚痴を言っていた場合。

ここで「では一緒に仕事を減らす方法を考えましょう」とか、「Aさんはどうしたら無駄な仕事が減ると思いますか?」とか、つまりAさんの”何て言っているか”について返答したらどうなるでしょうか。

おそらく更に頭で考えられた会話が続き不毛な議論へと発展していくか、Aさんはそのような回答は求めていないので気まずい沈黙が流れてしまうと思います。「別にもういいよ」などと打ち切られてしまうかもしれません。

このときAさんは本当に「無駄な仕事が多すぎる」ということを改善したいわけでもないし、それについて議論したいわけでもありません。ただ今の自分の葛藤や行き場のない憤りを理解してもらいたいだけです。

そこでたとえば「おそらく当時はAさんが必要だったと思える仕事ばかりだったんですよね」とか、「時代が変わってしまったようで少し寂しい感じがしますよね」とか、Aさんの”何が言いたいのか”についてしっかり返答ができれば、そして「そうそう、そうなんだよ!」という反応を引き出すことができれば、肯定もされず否定もされず自分の気持ちや存在がしっかり受け入れられているという実感が芽生えます。

そして愚痴を言うたびにこのような受容的な反応があると、心理的に安全な中で、自分を守るために正当化したり言い訳をしたり無理に抑え込んだりしなくてもいいということに気づき、他人や社会に対して自分の「愚痴や不満を言う」という不適切な自己アピールは必要ないということの気づきに発展していきます。

聞く側のストレス軽減にもなる

そしてこれは愚痴を聞く側のストレス軽減にもなります。答えの出ない愚痴の内容と真正面から向き合う必要はなく、ただ相手がこの愚痴を通して何を言いたいのか、何をわかってもらいたいのかに集中する。それが相手が返してほしいものであり、あなたが返すべきものでもあります。

コツとしては、頭で考えられた知的な部分や論理的な部分ではなく、「悲しいですよね」「つまらないですよね」「がっかりしているんですよね」「ショックなんですよね」というような相手の感情にそった返答をすることで、自分は理解してもらえているという印象を持ってもらいやすくなります。

しばらく愚痴は続くかもしれないですが、受け入れられ続けることで「愚痴によって自分を守る必要はない」という洞察は必ず生まれます。

そして愚痴が不快なものではなく笑い話の一環として出るようになったり、愚痴を言いながらも適切な行動が見られるようになったり、少しずつ変化が見られます。

もしこうした返答を続けられるなら、聞く側としても相手の本当に言いたいことが理解できて、今までよりずっと愚痴を聞くことが不快に感じなくなっていくと思います。

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最後に

愚痴や不満ばかりを言う人。その人の背後には、これまでの人生において理想的な自分と実際の体験のズレから生じた不安や葛藤が潜んでいます。

どんな人でも、自己概念(自分はこういう人だという感覚やイメージ)と実際の体験の矛盾や対立が起こり始めると、精神的に不安定になり傷ついたり不安を感じやすくなります。

そして愚痴や不満を通して、自分の尊厳を脅かす不安を払拭し自分の存在証明をしようとします。それがたとえ不適切なものであっても、その人にとっては自己防衛のために必要な手段なんです。

そういう人には、どんな小さな愚痴であってもこちらの主観で肯定や否定などの評価をしたり何か知的な助言や議論をしようとするのは逆効果。「何て言っているか」よりも「何が言いたいのか」というところに耳を傾けて感情に寄り添ってあげてください。

時間がかかるかもしれませんが、そうした対応が続くことで、自分を守らなくていい、何かのせいにしなくていい、言い訳をしたり正当化しなくてもいいという心理的に安全な場所であることに気づいてもらえます。

そして安全なその場所でしっかり自分の弱さや未熟さ、不完全さと向き合い、自分自身を知り新しい洞察を促すことができます。何かあるたびに愚痴や不満を言って注目を集める必要がないことにも気づいてもらえます。

愚痴を言う人の心理、そしてそのような人と対応するときの心構え。近くに愚痴っぽい人がいて困っているという人へぜひ参考になったら幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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