こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。
誰かを救い、誰かを守り、誰かを幸せにしたい。生きている中できっと誰もが体験するだろう大切で尊い気持ちです。
その気持ちは、しっかり相手に届きそしてその人のためになるべきものですが、使い方や自分の状態などを見誤ると、相手も自分も不幸にしてしまう諸刃の剣にもなりえます。
本当に誰かを救い幸せにするとはどういうことか、そのためにはどう考えどう行動すればよいのか。難しいテーマですが、今回はこの内容についてじっくり考えていきたいと思います。
誰かを想う強く優しい気持ちがしっかり形となることを祈っています。
目次
人を救うことができる人、できない人
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愛する人、大切な人、困っている人、頼りにしてくれる人。日常で多くの人と接する中で、このような人たちを救ってあげたい、幸せにしてあげたいと思う瞬間。きっと皆さんにもありますよね。
このとき、その人たちを本当に「救う」とはどういうことでしょうか。慰める、励ます、代わりにやってあげる、他の人にやってもらうよう手配してあげるなど。このような一般的にイメージできることも、確かにその場はやり過ごせるかもしれません。一時的には問題を忘れたり回避したりできるかもしれません。
ただまた同じ状況になったとき、慰めたり励ます人が近くにいなかったら。代わりにやってあげることも他の人にやってもらうこともできなかったら。その人は問題を乗り越えることができるでしょうか。きっとまた同じように一時的な回避方法を求めてしまうと思います。
◆本当に人を救うとはどういうことか
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本当に誰かを救うということは、「その人が自分の力で問題を解決できるよう活力を与えること」です。
一時的な慰めや励まし、代わりにやることも誰かに代わってもらうこともときには必要かもしれません。落ち着かせるためや話を聞いてもらう状況をつくるために、一旦はそういったアプローチが必要になる場面は確かに多々あると思います。
ただ常に根底にある目的は「その人が自力で問題を解決できること」であるべきで、考えなければならないのはそのための活力を与えるにはどうすればよいかということです。それは他人への依存ではなく、自立させることがその人の本当の救いとなるからです。
◆人に活力を与えられる人
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人に活力を与えられる人というのは、身近にいて「この人からは元気をもらえる」「この人の発言や行動を見てると自分もやる気が出る」というような人です。一般的な道徳を語ったりお決まりの指摘やお説教をする人でもないし、その場限りの励ましや労いをしてくれる人でもありません。
このとき活力を与えられる側の人は与える側の人の何を見ているかと言うと、その言葉や行動といった事実よりも「その人が幸せそうかどうか」を見ています。
「この人からは元気をもらえる」という人のことはもちろん幸せそうな人という目で見ているし、口先だけのお説教をする人のことは「不幸そうな人」という目で見ています。そこで「この人の言うことを聞いていてたら不幸になる」という洞察が働くので、その人の言葉は一般的な道徳やお決まりのお説教として耳を閉じてしまいます。
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ここで注目したいのは、重要なのはそのときの言葉や行動ではないということ。例えばその人の仕事に取り組む姿勢であったり周りの人への接し方であったり、自分の主張の仕方であったり、日頃から培われるその人の信念や幸福感に触れて自分の中の活力を呼び起こすのです。
つまりそういう活力にあふれている人、幸福感を感じられる人こそが他人に活力を与えられる人であり、本当に人を救うことができる人ということです。本当に人を救える人は、言葉で理解させたり納得させるよりも、実際に自分の力で問題を解決できることを体感させ、実感させているように思います。
・人に物を与えるには、自分がたくさん物を持っていなければならない
・人にお金を与えるには、自分がたくさんお金を持っていなければならない
・人に活力を与えるには、自分がたくさん活力を持っていなければならない
・人に幸せを与えるには、自分がたくさん幸せを持っていなければならない
とてもシンプルで当たり前のことですが、自分がそれらを持っていないまま人を救おうとすると自分も他人も不幸になってしまいます。次からその点について考えていきます。
人を救うことで自分を救おうとする
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自分に活力がなく自分を好きになれず幸せを実感できていない。そのような人が誰かを救おうとするとき、その目的は決まって不健全なものになります。
それは、「人を救うことで自分を救おうとする」というものです。
相手を自立に導きその人なりの問題解決を促すべき目的が、その人を救おうとすることで自分を救世主やヒーローのように見立て、その優越感から自分の不幸を補おうとするという目的にすり替わってしまうということです。
こうなると、相手を救うことができないどころか自分もいつまでの劣等感を不健全な形で補い続けなくてはならなくなります。
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不幸を感じながら人を救おうとするとどうなるか
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それでは具体的に、活力がなく不幸を感じながら人を救おうとするとどうなるのか。まず考えるべきは、自分の関心の位置です。
相手の自立を考え相手に活力を与えられる人は、関心は常に相手にあります。でも相手を救うことで自分を救おうという人は、自分の関心が常に自分自身にあります。
なので、自分のためになること、自分が幸せになること、自分がプラスの方向に動いていくことだけに常にアンテナを張っている状態。その状態のまま相手を救うことを考えているということです。直感的にもこれは難しいことがわかるかと思います。
◆劣等感を補うための行動
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この状態だとなぜ自分も相手も不幸になってしまうのか、それは無意識的に相手から見返りを求め自分の行いに何かしらの成果を求めてしまうからです。
自分にばかり関心を持ってしまうのは人からどう見られているかを気にしてしまうから、人の目を気にしてしまうのは自分に自信がなく常に劣等感や承認欲求に苛まれているから。
だから「自分はこんなにあなたを思っているのだから」「自分はこれだけのことをしたのだから」と相手からその評価や賞賛などを求め、それをもって自分の劣等感や承認欲求を満たそうとします。
この心理は必ず相手にも察知されます。そして「この人は自分のために私に声をかけている、優しくしている」そう思われた瞬間どんな正論も響かなくなります。これも「相手が幸せかどうかを見ている」という先ほどの考え方と同じことです。
◆ないものを与えることは不可能
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そして自分は、相手からの見返りや反応を得られないとそれに対して理不尽に怒ったり裏切られたような気持になって落ち込んだりします。
でも本人はそのときになっても「自分が幸せになるために相手を救おうとしていたと」いう心理に気づくことはありません。なぜならその行動は本人にとっては正しい行動であり、改めるべきものという反省ができないからです。なのでまた繰り返すことになります。
逆に本当に相手に活力を与えられる人は、相手からのわかりやすい評価やお礼などよりも、その人が周りの人と楽しそうにしている姿や一生懸命仕事や勉強に精を出している姿にこそ幸せを感じます。
自分が幸せでないのに相手を幸せにしようとする、自分に活力がないのに人に活力を与えようとする。して良い悪いではなく、そもそも不可能なことなんです。
「自然な笑顔は人を幸せにする」その理由
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では人に活力を与え本当の意味で救うためにはどうすればよいのか。ここで少し、タイトルにもある「自然な笑顔は人を幸せにする」という内容について考えたいと思います。
意識されることもなく無理することもなくごく自然に生まれる笑顔。ではなぜそんな笑顔ができるのか。それは大前提として他人や社会、自分が生きているこの世界を認め受け入れていて、そこで生きている自分自身を認め受け入れているからです。
自分に自信がないから他人からの批判や攻撃に怯え、社会の嫌な部分ばかりを見て関わらないようにする。そしてその結果自分が生きる世界に居場所を感じられなくなる。そんな人はこのような自然な笑顔はつくれません。
◆自然な笑顔が与える影響
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誰かからその自然な笑顔を感じ取ったとき、周りの人は感じると思います。「あの人は幸せなんだろうな」と。このとき笑顔自体が周りを幸せにしているのではなく、その人が自分・他人・世界を受け入れ幸せに生きている。それをその笑顔から感じ取った周りの人が、そこに幸せを垣間見るのだと思います。
逆に、「あの人は悩みがなくて楽そう」とか「あの人はきっと辛い体験をしたことがないんだろう」などと思ってしまう人もいるでしょう。ただそういう人たちに対しては、たとえ言葉で励ましても何か力になろうとしても何をしても決して響きません。
なぜなら今自分が不幸の中にいることを自分から求めてしまっているからです。今の不幸な環境がある限り言い訳ができる、正当化ができる、「私はこんなに不幸だと言えば」心配もしてもらえるし注目もしてもらえる。つまり、今自分が不幸を必要としてしまっているということです。
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なのでそういった人たちには何をしようとしても「あなたに私の気持ちはわからない」「わかったつもりにならないでほしい」と手を払いのけられてしまうでしょう。その人が不幸を必要とし不幸の中で生きようと考えている限り。
これは「自然な笑顔」から得られる幸福感も同じです。そういった人たちには届きません。でも、今本当に自分が苦しい、でも現状から抜け出したいと思っている人には、その垣間見る幸せからたくさんの活力を得られると思います。
笑顔の周りに人が集まるというのも、この原理に基づいてるのではないかと思います。
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◆なぜ自然な笑顔が人を救うのか
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結論から、自然な笑顔を保てる人は誰か救うことができる人です。それは、その人から活力をもらった人が自力で問題解決をしようと自立していけるからです。
ただ励まされたり慰められたり、代わりにやってもらうのではなく、その人から得た活力をもって自分の力で何とかしようという意識に変わる。
たとえば次に同じまた状況が訪れたとき、その人がいなくても、そして周りに手伝ってくれる人がいなくても、きっと自分の力で何とかしてみようと進んでいくことができると思います。これが本当に誰かを「救う」ということです。
誰かを救いたい誰かを幸せにしたいと思うのであれば、大前提としてまず自分が幸せであること、自分が活力に満ちていること、自分で自分を認め受け入れていること。そうでないと、自分に依存させる方向にばかり動いてしまい、相手を自立させるための援助や支援をすることはできません。
どう考えどう接するべきか
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それでは最後に、自分が救ってあげたいと思っている人に具体的にどう接すればよいかについて考えていきたいと思います。
励ますでもなく代わりにやってあげるでもなく、その人が自分の力で立ち向かっていけるように活力を与えるにはどうすればよいのか。
まず共通していえる大切な心構えは、その人を全面的に信頼すること、自分の力で乗り越えられると信じること。そしてそれはその人自身が乗り越えないと意味がない、自分ではなくその人にとっての問題であるとしっかり認識することです。
その人を信頼できないから自分の方が正しいと思って命令したり口を出したりしてしまう。その人が乗り越えるべき問題と認識ができていないから代わりに自分がやってしまおうという気持ちになる。そうではなく、その人は自分の問題を自分の力で乗り越えられるという前提を持って接する必要があります。
◆判断は相手に委ねる
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その心構えをもって、まずすべきはいろいろな選択や決断などその判断を相手に委ねることです。自分の考えがどうか、その結果がどうなるか、一般的な回答はどうか。そういったことはいったん置いておいて、まずすべての判断を相手に任せることです。
こちら側ができることはその決断のためにできるだけ情報を伝えたり冷静でいられるようにリラックスできる環境を整えてあげたり、あくまで決断のための支援だけ。その判断をするのはあくまでその人自身でなくてはなりません。
うまくいけば当然自信につながり、失敗したとしても自分で判断したことに言い訳も責任逃れもできない状況から自立心は必ず身に付きます。失敗から多くのものを学んでくれます。たとえそれで自信を失ってしまったとしても、やはり自分にできることはその失意から本人がどう動くか決断するための支援的なことだけです。
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もし嫌がらせをされている人がいるなら、「辛かったね、わかるよ。」と声をかけるだけではなく代わりに抗議に行くのでもなく。その人が嫌がらせに立ち向かうのか、または環境を変えるのか、その判断を尊重しこれからどうするかを一緒に話し合う。
自分で選択し決断するという繰り返しをしていく中で、その人は自分の価値は他人の評価からではなく自分で決めるもの、自分がどう生きていくかの判断は常に自分が握っているという本当の自立に向けて進んでくれると思います。
それがその人にとっての本当の「救い」になるのではないでしょうか。
自分の大切な人が自分自身で決断をして生きていけるために、必要な活力をしっかり与えてあげたい。そのためには、こちら側が自然な笑顔でいられるようなゆとりと、何よりも自分が幸せでないと誰かを幸せにすることはできないという意識を常に持っていなければなりません。
最後に
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誰かを救い、誰かを守り、誰かを幸せにしたい。その気持ちは間違いなく大切なもの。そして尊いものです。
ただ自分が幸せではない、他人や世の中を信頼できていない、その状態で誰かのために何かをしようとすると、それは決まって自分の劣等感や承認欲求を満たすためのものとして使われます。
相手を救うという本来の目的が、その人のヒーローや救世主になることで不幸な自分を救うという目的に切り替わってしまいます。そして自分の思いやりに対して思うような反応や結果を得られないと、「こんなにあなたのことを思っているのに」と憤慨する。結果的に相手も自分も幸せになることはできません。
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そうならないように、まずは自分が幸せでいること、自然な笑顔を保てるようなゆとりを持つこと。そしてそこに触れた誰かが自分の問題を自分で乗り越えていく活力を得る。
それが本当に誰かを「救う」という結果になると思います。
あらためて、誰かのために何かをしたいという気持ちはとても大切で貴重なものだと思います。そのとき、本当に相手のことを考えて行動できるように、どうか自分の幸せをまずは大切にしてほしいと願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。