一生幸せになれない、自分だけ幸せになれない。それは自分の決断。

心理・メンタル

こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。

仕事や学校に家庭の諸問題、家族や恋人・友人などの人間関係、人生における悩みは尽きることはありません。そして大人になるにつれて、幸せが遠く自分には縁のないものかのように感じてしまうときもあります。

「一生幸せになれない」「自分だけ幸せになれない」。ついついそうぼやいてしまう人もいるのではないでしょうか。

今回は、「幸せになれない」とはどういうことか、また「幸せになれない」と考えてしまうことや自分と他人の幸せを比較するときのその目的などを見つつ、幸せに向かって前を向くためにはどんな心構えが必要かについて考えていきます。

一度幸せになれないと感じてしまうと、ひとりでそこから抜け出すことは困難かもしれません。今回の記事が少しでもその手助けになれば幸いです。



幸せにならないという決断

誰かのことを好きになれないと思う、目の前の問題を乗り越えられないと思う、そして自分は幸せになれないと思う。何かをできないと感じるとき、そこには必ず自分の中で「それをしないようにしよう」という決断があります。

その人を好きにならないでおこう、問題を乗り越えないでおこう、そして幸せにならないでおこう、という風に。本当に誰かを好きになろうと、問題を乗り越えようと、幸せになろうと努力をしている最中には、このような考えは浮かびません。

このような考えが浮かぶのは、その努力をするほどの活力がないとき、勇気が湧かないときです。そうすると今度は逆の決断をするようになります。今度は幸せにならないでおこうと決断するようになるんです。

そして周りの幸せを羨み妬み、自分と比較して自分の不幸をもっと自覚し自分を嫌いになっていきます。この状態から幸せになろうと前向きな姿勢になるのは、不可能ではなくてもとても困難です。なのでそうなる前にしっかり考え方をあらためなければなりません。

なぜ幸せにならない決断をしてしまうのか、なぜ自分と他の人の幸せを比較してしまうのか、少し掘り下げていきたいと思います。

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他人の方が幸せそうに見える理由

周りが楽しそうで自分よりも幸せに見えてしまう。そんな周りとの比較から自分だけが一生幸せになれないなんて思ってしまう。

これは一見本能的で変えようがない考え方のように見えるかもしれないですが、この他人と自分の幸せを比較してしまうということにも目的があります。それは一言で言えば「自分が幸せにならないでおくこと」です。

自分が幸せにならないように、他人の幸せに注目しもっと自分の不幸を際立たせる。そして「周りは幸せ、自分だけが幸せではない」という世界を自分でつくっていきます。

◆不幸の世界の住人

自分が不幸であることを自覚してしまうと、いろいろな悪影響が生まれます。いくつか例を見てみます。  

■周りと幸せを比較することで不健全な劣等感が生まれ、それを言い訳に人間関係や自分の課題から逃げたり責任転嫁をしたりするようになる
■人からの優しさや思いやりを素直に受けられず「あなたには自分の辛さはわからない」などと手を振り払うようになる
■不幸自慢など自分の不幸を他人を支配する道具として使い、不幸な自分を周りは助けるべきだという誤った思い込みが生まれてしまう
■他人や社会に関心がなくなり自分だけに関心を持つようになるため、その内自分が世界の中心のように考えてしまう。なのでルールの大切さや他人との平等性などがわからなくなる

一度自分でつくりあげた不幸の世界の住人になってしまうと、ある意味で満たされてしまいます。自分が不幸をさらけだせば周りは優しくしてくれる、自分は不幸だから問題と向き合わなくてもいいし煩わしい人間関係にも関心を持たなくていいと思うからです。

◆自分の価値の喪失

こうして自分は幸せになれないと言いながら、幸せにならない決断をする準備を進めていくんです。そしてずっと自分と周りを比較して、常に周りの目を気にして、とても不自由な世界を生きていかなければなりません。

この人はこの先自分に価値を感じられるでしょうか。自分を好きになることがあるでしょうか。誰かに何かをしてあげたいと思ったり、その貢献から自分の居場所を感じることができるでしょうか。想像ができないですよね。

自分を認め好きでいること、自分の生き方に嘘をつかず自由でいること、他人を味方と思えること、世界に自分の居場所を実感できること 。幸せになるためにはいろいろな要素があると思います。

他人と幸せを比較し自分の価値を見失い劣等感が生まれる。それでも人間は今の自分より常によくありたいと願い続けます。そしてその劣等感を補うために今度は自分の不幸を使って他人からの賛同や優しい言葉などをもらおうとします。

今の自分より成長しようと幸せを求めるのではなく、今の自分よりただ楽であろうと不幸を求めるということです。どちらもその人が出した「今の自分よりよくあること」の答えなのですが、後者を選択した場合何の解決にもなりません。

いずれ周りからの賛同や優しい言葉が途切れたときはどうなるでしょうか?不幸をアピールしても誰も自分のために動いてくれなくなったときはどうなるでしょうか?その人はさらに自分の殻にこもっていくようになると思います。

そうならない前に、自分で幸せにならないための決断をしていることや不幸を選んでいる目的を自覚して考え方を変えていかなければなりません。

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なぜ幸せにならない決断をしてしまうのか

では具体的になぜ自分自身で幸せにならない決断をしてしまうのかについて考えていきたいと思います。

まず自分の幸せに気づき実感するためには多くの活力も勇気も行動も必要になります。自分を信じ受け入れ好きになること、そのために目の前の問題から逃げずに向き合うこと、その過程を大切にどんな小さな成長でもしっかり見逃さないこと。

また他人や今の自分の居場所を信じられること、他人や社会のために自分が役に立てていると実感をもてることなど。そのどれもに多くの活力や勇気や行動が必要になってきます。幸福になるというのはどこまでも能動的なもので、幸運のようにふと訪れたり誰かが運んできてくれるものでもないんです。

◆努力の放棄は幸せの放棄

幸せにならない決断をするということは、こういった能動的な努力をしない決断をするということです。その方がずっと楽だし傷つかなくて済むし、いつまでも可能性の中だけで生きることができるから。

でも人間は、ずっと周りと自分の幸せの比較から生まれた劣等感に苛まれ続けながら生きられるほど強くはありません。なのでその劣等感をなんとか補いたいと考える。そして劣等感を補うために周りの人からの賞賛や承認を求める。

そこで不幸であることをひけらかすことで、同情でも憐れみでもいいから自分のことを理解し承認してもらおうと努めます。そして更に劣等感や承認欲求にとらわれた不自由で不幸せな人生を送らなければならなくなります。

努力することを放棄する人は、決まってこのように幸せをも放棄することになります。

◆幸せになる権利と責任

一生幸せになれない、自分だけが幸せになれない。それは一生幸せにならないことを今の自分が決めている、自分だけが不幸でいることを今の自分が決めているだけであって、そんなことは絶対にありえません。

幸せになれないのではなくて、幸せになるための活力や勇気を失っているだけなんです。どんな人も幸せになる権利を持っているし当然それを主張していいはず。ただ、どんなことでも何か権利を主張するならその主張に対する責任も一緒について回ります。

この場合、幸せになる権利を主張するときに生まれる責任というのは、こうした能動的な努力をするための活力や勇気を持ち続けることなのではないかと思います。

自分が幸せになる権利を主張するなら当然他の人の幸せも認めないといけません。それは比較したりどっちが上どっちが下と競争するものでもなく、他人の幸せを妬んだりおもしろくないと感じてしまう時点で自分は幸せになるための責任を果たせていないんです。

もしここで先ほど書いたような自分を好きになり他人を信頼するための能動的な努力ができていれば、そしてそのための活力や勇気を持てていれば、他人の幸せは仲間の幸せとしてしっかり祝福できるはずです。

幸せを感じられないのは環境のせいでも能力のせいでも貧富のせいでもなく、自分がそう決めているだけだから。幸せになるための責任から逃げてしまっているだけだから。どんな人でも幸せになる権利があるし、どんな人でも幸せなっていいんです。



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幸せを特別なものだと思わない

では最後に、自分で幸せを放棄しないため、自分で幸せにならない決断をしないためにはどうすればよいのか。順を追って考えていきます。

1、幸せにならない決断をするのは、幸せになるための活力や勇気を失ってしまっているから
2、活力や勇気を失ってしまうのは、自分の価値を信じられず自信や意欲や興味を持てないから
3、自分の価値を信じることができないのは、誰かの役に立っているという実感が持てないから
4、役に立っている実感が持てないのは、問題から逃げ自分のすべきことと向き合えていないから
5、すべきことと向き合えないのは、人からの評価や賞賛に依存しており自立できていないから
6、自立ができないのは、自分の問題から逃げ続けているから

あとは5と6の繰り返しになるのではないかと思います。こう考えると、自分で幸せにならない決断をしてしまう根底にある要因は「自分の問題から逃げ自立ができていないから」ということになります。

今度は6~1を逆の内容でたどってみます。

6、自分の問題を自分で解決し自立ができている
5、人からの評価や賞賛ではなく自分自身で自分を認められる
4、自分のすべきことをして他人や社会の役に立っているという実感が持てる
3、他人や社会の役に立っているという実感があり自分の価値を信じることができる
2、自分の価値を信じることができて他人や周りに意欲も興味も持てて活力や勇気を持てる
1、幸せになる活力や勇気によって幸せになる決断をすることができる

ここで重要なのは、1のために6をするのでもなく1のために5をするのでもないということ。6も5も4も、そのときそのとき「今」を一生懸命生きているからできるということです。

1のための6だと思ってしまうと、今度は理想から現実を差し引くような形で今がちっぽけに思えてしまったりなかなか1にたどりつかない現状からまた幸せにならない決断をしてしまうかもしれません。

変えられないものだけを見てそこを何とかしようとするのではなく、まずは目の前の変えられるものだけに注目すること。自分の問題と向き合いそれを乗り越えることで自分を認め、自分も他人も世界も愛おしく思えるようになり自分の居場所をしっかり認識する。そうした能動的な努力によって、幸せとは何かを自分なりに実感していくしかないんです。

一生幸せになれない、自分だけ幸せになれないなんてことは絶対にありえません。幸せを特別なものと思わず、選ばれた人にだけ与えられるものだとも思わず。自分にしかない自分だけのための幸せは必ずあります。

最後に

幸せになれないと思うことは、幸せにならないと自分自身で決断しているということ。

人が今の自分よりよくありたいという理想や目標を追いかけるとき、努力や成長という健全な方法によってそれを叶えることができないと感じると、幸せになる努力も一緒に放棄し今度は不幸を求めるようになります。

それはその不幸をもって人から自分を認めてもらおうとするため。不健全であってもそれがその人の「今の自分よりよくあろうとする理想や目標」になってしまうからです。

一度自分でつくった不幸の世界の住人になってしまうと、どんどん自分の価値を見失い幸せにならない決断を強めてしまいます。

幸せを特別なものと思わない。今の自分が変えられるところに努力を注ぐ。自分を認め他人や社会を信頼し、しっかり自分の居場所を築く。

その過程でひとつずつ生まれていく自分だけの幸せに気づいていけることを願っています。もう二度と、「一生幸せになれない」「自分だけ幸せになれない」なんて言わなくてもいいように。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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