努力する意味とは?なぜ人は「努力が報われない」と感じるのか

心理・メンタル

こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。

努力をしても報われず、つい努力の意味や努力を続ける意味を考え疑ってしまう。しっかり現実に向き合おうとする人ほど、こういった辛い状況に陥ってしまうことがあると思います。

努力は成長や自己理解、また世界の見え方の変化などたくさんの良い影響を確かに与えてくれます。ただその反面、努力を続けることの難しさを感じ努力の果てに苦悩や絶望を感じてしまう人がいるのも事実です。

そもそも努力をする意味とは何なのか、なぜ努力が報われないと感じてしまうのか。そして努力が報われないと感じたりそこに疑いを持ってしまうときどんな風に乗り越えればよいのか。

今回は「努力」をテーマに、じっくり考えていきたいと思います。今現在努力することに疲れてしまっている人や再び努力をするための活力を失ってしまっている人へ、少しでも心が軽くなる手助けになれば幸いです。



「努力」自体に意味はない

思うような成果が出ない、周りからの反響がなく評価にも結びつかない。そうしたとき、今までの努力を疑いそして報われないことに対してつい悲観的になってしまいます。

ただ少しイメージしてほしいのですが、たとえばダイエットや筋トレなど。新しい努力を始めようとするときはおそらく希望に溢れていると思います。憧れの体型や自信を持ち前向きな気持ちになっている自分を想像したりして、とてもポジティブな気持ちで始めるのではないでしょうか。

ただしばらく続けてみて思うような成果が得られないとき、こうなるだろうという期待と現実にズレが出始めるとき、そのとき「努力というもの」に対して裏切られたような気持ちになり疑いが生まれてきます。

ここからわかることは、「努力というもの」自体には何の意味もないということ。これは人生や幸せや愛などにもいえることかと思いますが、客観的に見たそれらには何の意味もなく、人間がそれらに対してその都度違う意味づけをしているだけということです。

見方・捉え方の変化に注目する

人は自分の主観的な世界からは逃れられません。なのでどんな客観的な事実も自分の認知というフィルターを通して見て、それがその人の”真実”になります。

なので努力に対して希望的な意味づけをするときもあれば、悲観的な意味づけをするときもあり、その都度客観的な「努力というもの」を自分が見たいように見ているということになります。

成果が出ないときや評価を得られないとき、何も変わっていない「努力というもの」に対して自分の中で見方・捉え方が変わってしまいます。そしてそのときつい努力の意味を考えてしまいますが、それは「幸せとは何か」を考えるのと同じことで決して答えはでません。

なので「努力の意味」ではなく、「努力というものの見方が変わった理由」に注目していく必要があります。

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努力するかしないかを決めているのは自分自身

なぜ努力に対しての見方・捉え方が変わってしまうのか。それは周りの環境や風潮、個人の性格や信念など様々な要因があると思います。

ただひとつ言えることは、最終的にその見方を変えようと決めているのは自分自身ということ。ここにとても前向きな要素があります。

たとえばダイエット中、毎月の目標体重に届かずその努力をやめてしまう。毎日のように多くの誘惑があり、今日だけ今日だけと言いながら戻れなくなってしまう。

ただその間に少しずつ努力に対する意味づけを変えているのも、最終的に努力をやめると決めているのも自分自身。目標体重に届かなくても周りにおいしい食べ物があっても、続けてもいいはずの努力を「しない」と決めているのも自分自身なんです。

シンプルで自由な決断

これはネガティブな意味ではなく、続けるかやめるかの決定権はいつも自分が握っているということです。つまり続けるのもやめるのも自由という状況の中で、今回自分はやめる方を選択しただけということ。

本来とてもシンプルなはずなのに、様々な要因が絡み合ってまるで周りからの圧力によってやめさせられたと感じてしまう。または自分の意志の弱さや根気のなさなどからやめるしかなかったと考えてしまう。そうして後悔や被害者意識、自信喪失などにつながっていきます。

ただもっとシンプルに、自分は自由な状況の中でやめるということを選択しただけ。それは良い悪いで判断できることでも周りから責められることでもありません。

なぜなら努力に対してどう意味づけをしようと、その意味(真実)によってどう行動しようと、それは本人が決めることであり自由なことだからです。

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努力が報われないと考える理由

では、なぜ続けてもいいはずの努力をやめる決断をしてしまうのか、そして最初は希望的に見ていた努力を報われないものという見方に変えてしまうのか。その点について考えていきたいと思います。

どんな些細な考えやどんな行動にもそれに至った理由が必ずあります。努力をやめるということも例外ではなく、必ず何かしらの理由があります。

努力への意味づけの変化

たとえばこんな場面を想像してみてください。

ケース

内向的で人と話すのが苦手と感じていたAさん。社交性があり活発な人になりたくて、コミュニケーションの本を読んだり外向的な人の話し方や行動に注目してみたりと努力を続けていました。

しばらくして友人や周りの人からから「明るくなったね」「話していて楽しい」などと言われるようになり、自分の努力は正しいと思えるようになりました。目標とする理想の自分に近づけたような気分にもなり自信もついてきました。

それからも努力を続け、常に周りには人が集まり対人関係がとても円滑になったAさん。そんなある日、その人柄から社内で公式の飲み会の幹事を任されることに。Aさんははりきってその飲み会を仕切り大成功に収めました。

それからは飲み会の幹事に限らず、人の仲介や悩みごとの相談、仕事での交渉役などみんなから頼られる存在になっていきました。最初は感謝や周りの喜ぶ姿などを見てとてもやりがいを感じていましたが、その内それがAさんの”ポジション”となり、当たり前の状況になっていきました。

そしてその状況にいよいよ疲れてしまったAさんは、今度は周りからなるべく距離を取るようになり、今までの努力は正しかったのか、報われたのかと疑うようになっていきます。

そして友人などからも「あいつは変わった」など後ろ指を指されるようになり、以前の内向的な自分に戻ってしまいました。

①活発的な人になりたいと思っていたAさん、②そうなれたと実感をもてたAさん、③また内向的な自分に戻ってしまったAさん。この時々で、Aさんの中で努力に対しての見方・捉え方は大きく変わっています。

①ではとても希望的なものとして、②では実現するものとして、そして③では報われないものとして。同じ「努力」というものに対してそれぞれ違った見方がされています。

活発な人になりたいと願うこと、それが実現できたと実感できたこと、周りの人から都合よく使われていると感じたこと。それぞれ状況も違えばそのときの環境や周りの反応も違います。

ただ、そういった影響を受けながら努力をどのように見てどう捉えるかを決断をしているのは、その時々のAさん自身です。

そのときの自分にプラスに働く意味づけ

では、このとき①②③という風にそれぞれ捉えた理由とはなんでしょうか。それぞれ考え方が変わったことにもその理由が必ずあります。

①努力は希望的なものであると見ていた理由

努力を希望的なものとして見ることで、活発的な自分に向かう活力が得られる。また希望的なものと捉えることで努力を疑ったり迷ったりしなくてよくなる。

②努力は続ければ実現に繋がるものと見ていた理由

努力は実現に繋がるものと見ることで、自然に努力を続けられるし努力をしないという選択肢を排除できる。

③努力は報われないものとして見ていた理由

努力は報われないものと見ることで、積極的な人付き合いや行動をしなくてよくなり自分の殻にこもることができる。また努力に対して悲観的な印象を持つことで、努力をしない自分を正当化できる。

これらはすべて無意識的なものですが、このようにひとつひとつの考え方や行動には必ず理由があります。そしてその理由は必ずそのときの自分にとってプラスになる方向につくり出されます。

ここでいうプラスというは、道徳的・社会的に良い悪いということではなく、そのときの自分にとって得かどうか、都合が良いかどうかということです。

①のときには①の、③のときには③の自分にとってプラスになる理由があります。①のときには前を向いて努力をするために努力は希望的なものと捉える必要があり、③のときには努力をやめるために努力は報われないものとして捉える必要があったのです。

常に自分にある決定権

これもすべては、客観的には何も変わらない「努力というもの」をただ自分がどう見てどう捉えどう決断しているかが違うだけで、常にその決定権は自分が持ち続けています。そして何より重要なのは、どんなときでもそれはこの瞬間から自分で変えていけるということです。

すべてのことは自分自身が決断している、それはつまりこの瞬間から自分で決断を変えることができるということ。

このことがしっかり理解できていれば、「努力の意味」という答えのない問いで自分を苦しめることもなくなるし、「努力は報われない」と被害者的に姿のない何かを恨んだりすることもなくなります。

シンプルに、常にそこには自分の決断とその結果しかないということがわかるんです。



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努力が報われないと感じるときの対処法

では最後に、努力が報われないと感じてしまうときの心の対処法について考えてみます。

まず最初に、努力が報われないと感じるときは今の努力をやめようと選択しているときです。

努力をやめるために必要なもの

これまで見てきたように、何かの思考や行動にはその理由があります。では無意識的にもう努力することをやめようと思うとき、そのためには努力に対してどのような意味づけをすればよいでしょうか。

そう、「努力は報われないもの」と捉えればいいんです。

逆に努力をし続けるためには、努力を希望的なものとして捉えなければそうは思えません。報われないものと捉えながらも習慣化されていたり強い精神力で続けられる人もいるかと思いますが、多くの場合それは長続きしなかったり、辛い毎日になるでしょう。

報われないから努力をやめてしまうのではありません。ただ努力をやめる理由として「努力は報われないもの」という意味づけをしているだけなんです。

では果たしてその理由はあなたが本当に望んだものでしょうか、本当はもっと努力を希望的なものとして捉え続けたいのではないでしょうか。

自分でコントロールできるものと気づく

ここまでの内容を理解してもらえたらなら、今はもう無意識層の話ではなく意識できる部分、自分で変えていける部分の話になっていることにも気づいてもらえると思います。

そしてこの後努力に対してどのような捉え方をするのか、それもまた他人が強要できることではなく自分自身で決断することです。

この後努力は報われないものであり虚しいものと捉え続けたとしても、それもひとつの正解だと思います。そこにも必ず自分にとってプラスになる理由があります。

それはちょっとした休息を求める声かもしれないし、努力を別の方向に使おうとする準備のためかもしれません。もしくは努力をやめた後に待っている後悔を今の自分は必要としているのかもしれません。

努力を継続できない人は弱い人、決してそんなことはないんです。本当に弱い人とは、それを自分で決断しているという事実から目を背け周りの環境や他人のせいにしてしまう人のことです。「○○だからダイエットできない」「○○のせいで社交的な人になれない」というように。

努力を続けることより大切なもの

努力は報われないものと本気で感じるなら、それは今の努力をやめようと決断しているときです。それを自分で決断していることを自覚しそれを信じることができるなら、努力を続けることより今やめることがそのときの正解なのだと思います。

努力が報われないと感じてしまうとき、必要なことは「努力の意味とは?」などと考えることでもなければなぜそういう気持ちになるのかを分析することでもありません。

ただ自分が今努力をやめようと決断しようとしているということを自覚することだけです。

そしてその決断をどうコントロールするのか。その決断を信じるのかそれともその決断は本当に望んでいるものではないと考え直すのか、それはもう意識下で考え変えていける部分です。

そう考えられるなら、そのときは不要な圧力を感じたり何かから自分を守ろうとすることもなく、本当に自分がどうしたいのか素直に向き合えるときだと思います。

努力を疑い迷ってしまうとき、答えのない問いもいらないし正当化や何かのせいにしたり言い訳する必要もない。

自分は今何を決断しようとしていてそれは本当に自分が望んでいる選択なのか。そこだけに注目して素直な自分の気持ちと向き合ってほしいと思います。

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最後に

客観的に見た”努力”というそれそのものには何の意味もありません。誰もが自分の主観を通して努力に対して自分なりの意味づけをしながら日々を過ごしています。

そして努力に対しそのときどう捉えそこからどう決断するのかを決めているのは常に自分自身。そこにはシンプルに自分の決断とその結果しかありません。

努力が報われないと感じてしまうときは自分が努力をやめることを選択しているとき。ただそれだけをしっかり受け入れて、そして自分が本当はどうしたいのかを見つめ直してほしいと思います。

続けることを選択した場合でもやめることを選択した場合でも、それを自分の正解と信じられること。それは必ずまた再び努力をしたくなる活力の素となっていきます。

悩んでいるときこそシンプルに、今自分ができることだけに注目する。そして少しでも心が軽くなる毎日になることを願っています。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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