近道も遠回りもない。誰もが実践できる本当の幸せへの近道!

モチベーション

こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。

何かに失敗してしまったときや思うように成果をあげられないとき、ついつい「このやり方は遠回りだったかな」「他に近道があったかな」などと考えてしまいがちですよね。

ただ何が近道で何が遠回りなのか、またそのときどっちを選択しどの道を歩むことが正解なのかなんて誰にもわかりません。

今回は、近道や遠回りについての捉え方や遠回りと感じてしまうときの対処法、また近道や遠回りなどを意識せず進んでいくにはどうすればよいかなどについて考えていきたいと思います。

誰もが遠回りを避け近道で目標まで到達したいと考えます。ただそれは本当に必要なことなのでしょうか?自分の人生においてプラスなものなのでしょうか?ぜひ一緒に考えてもらえたらと思います。



近道も遠回りも存在しない

何かの目標に向けて最短距離で到達したい、なるべく余計なことはしたくない。そうして人はなるべく遠回りを避け近道を選ぼうとします。ただ、近道というものも遠回りというものも現実にはありません。

近道、遠回りと言うものが実際にあるわけではなく、それが近道なのか遠回りなのかを今の自分がそう信じようと決めているだけです。

自分が近道と信じればそれは近道になるし、遠回りだと信じようとすればそれは遠回りになる。これは無意識的な心の作用ですが、どの道を選ぼうとどんな進み方をしようと、それは近道にもなり得るし遠回りにもなり得るんです。

◆近道と遠回りは繰り返される

仕事で期日までに成果を出すことができた、だからこれは近道。期日までに間に合わなかった、もしくはやっつけのような仕事になってしまった、だからこれは遠回り。これはそのときの自分がそれが近道とするか遠回りとするかを決めているだけです。

そして次の仕事で前回の遠回りの過程で得たものが効果を発揮すると、今度は「遠回りしちゃったと思っていたけど実は近道だったんだ」なんて思ったりします。これもそのときの自分が近道なのか遠回りなのか、それを信じようと決めているだけです。

それはこれからも繰り返され、あのときの近道が今の遠回り今の遠回りはいつかの近道。常に今を生きる自分が近道、遠回りと選択し続けることになります。

実際今まで歩んできた道やこれから歩んでいく道の中で、常に揺るがない絶対的な近道や遠回りというものは存在しません。あるのはただ今を生きる自分がその道を近道と信じようとするか、遠回りと信じようとしているのか、その決断だけなんです。

物事や人の本質を見極め、見抜く!そのために必要な考え方
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過去はもうない、未来はまだない

ではなぜ近道や遠回りは存在しないのか。それはシンプルに、過去はもうないものであり、未来はまだないものだからです。もうないものに対して遠回りを避けようとしたり、まだないものに対して近道を進もうとする。これは良い悪い以前に不可能なことなんです。

たとえば何かに失敗してこんな風に考えてしまうとします。

あのときあっちを選択していれば・・・

あの人の言うことを聞いていれば・・・

ですが、別の選択をした場合もあの人の言うことを聞いた場合も、その後の結果が今とどう違っていたのかなんて証明のしようがありません。なのでこれもまた今の自分が「今と別の道が近道だった」と信じようと決めているだけということになります。

◆なぜ近道、遠回りを考えるのか

ではなぜ不可能にも関わらずあっちが近道こっちが遠回りと考えてしまうのか。それはそう考えることで今の自分の尊厳や価値を守るためです。そのために、何かしらの目的を達成しようとしているんです。

たとえば何かに失敗してこの道は遠回りだった、別の道が近道だったと思います。でもそれが実際に遠回りか近道かなんて確かめようがないし誰にもわかりません。でもここで「別の道が近道だった」と考えることにはその人なりの無意識的な目的があります。

その目的とはその人の信念や性格によって様々かと思いますが、たとえばこんな目的が考えられます。

・「別の道を選んでいれば成功していたはずだ」と可能性の中で生きようとすること
・失敗を悔いている自分をアピールし叱責や責任を回避すること
・過去を振り返ることで次の一歩を踏み出さない自分を正当化すること

どちらにしろその目的のほとんどは建設的なものではありません。しかしその目的を果たすためには「別の道が近道だった」と考えなければならなかったということです。つまり善し悪しは別として、自分の尊厳や価値を守るために必要なことだったのです。

◆近道を意識しすぎる落とし穴

では今度は視点を未来に向けて考えてみます。何か新しい仕事を任された、または職場やクラスが変わり知らない人たちと人間関係を築いていかなくてはならなくなった。このようなときは、やり遂げられるだろうか、仲良くやっていけるだとうかと不安になりますよね。また遠回りは避けなるべく早く仕事を終わらせたい、新しい人との距離を縮めたいと考えます。

ここでひとつ旅行を題にして考えたいのですが、もし最短距離で何かしらを達成しようと考えるとき、旅行であればどうでしょうか。なるべく早く旅先にいって早く帰ってくることを考えるでしょうか?

おそらくそうではないですよね。旅行の企画から当日までの準備、目的地までの移動やその間の景色、そして帰り道でも今回の旅行で楽しかったことを話したり。その全部が旅行であり、その一瞬一瞬が旅行なのではないかと思います。

新しい仕事、新しい人間関係。これも同じように考えるべきだと思うんです。仕事にとりかかるまでの準備、初めての人の新しい発見。仕事を進める中で、初めての人と接する中で、新しい知識を得たり自分の新しい一面の気づきがあったり。

これらは近道を意識しすぎてそのスタートとゴールだけを見てしまっていては気づけず見逃してしまうものばかりです。そして本来知るべき、気づくべきことを見逃すことでまた次の機会、その次の機会が結果的にもっと遠回りになってしまうかもしれません。

人が進むことができるのは今目の前にあるこの時間と道だけです。ありもしない近道や遠回りを意識してその道を制限してしまうのではなく、ただ目の前で起こっていることを受け入れてそれに対して最善の選択をしていく。その方がずっと人生は豊かになると思います。



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常に完結している今

近道や遠回りを意識せず目の前にある道にしっかり光を当てる。そのためには「今は常に完結しているもの」という考え方が重要です。

今をいつかのための仮の時間と思わない。今は今でしっかり完結し、また次の今が生まれ完結しまた次の今が生まれる…。こう考えることで、道半ばということもなくなり、やり遂げられなかった人生などというものもなくなり、どんなに早く人生を終えた人も、道半ばと思われていた人も、すべて完成された人生と思えます。

試合当日に向けて今日練習をしているなら、今日は試合までの数ある内の1日ではなく、試合に向けて今日できる練習をするために必要な1日なんです。そしてそれは完結しているものなんです。

◆近道や遠回りを考えないとはどういうことか

先ほどの旅行の例もそうですが、どんなに早く旅行を終えても、行こうとしていた観光地やテーマパークまでたどり着けずに帰ってきたとしても、「旅行に行かなかった」ことにはなりません。

それは大きな「旅行」という枠の中で常に今が完結し続けているからです。旅行から帰ってくるための今でもないし、観光地にたどり着くための今でもない。歩いていること、話していること、何かを食べていることそのすべてが旅行中です。

そのときそのときでしっかり今が完結しているから、どんな結果になってもその人は「旅行に行った」ことになるんです。
 
近道や遠回りを考えないとはそういうことだと思います。こうしたら近道こうしたら遠回り、そしてゴールまでの間の時間はすべて仮の今。そう考えるから、まだない未来やもうない過去ばかりに目がいってしまい今を大切にできないのではないかと思います。

◆自分で現実を変える

仕事にしても人間関係にしても、その中で今は今でしっかり完結し続けている。だから取り戻せなくなる前にこの一瞬一瞬を大切にしなければならない。

そうして目の前の今だけにしっかり照準を合わせられれば、現実には近道も遠回りもないということを実感することができます。そしてこれが幸せへの一番の近道になるのではないでしょうか。

今の自分をただ守るため、正当化するために近道や遠回りをでっち上げたとしても現実は何も変わりません。そうではなく近道も遠回りもないただ目の前で完結し続けていく今を延々と過ごしていくという考え方で、建設的で確実な一歩を踏み出してほしいと思っています。

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最後に

何かに失敗をしてしまったときや思うような進展を感じられないとき。思わずこのやり方は遠回りだったのか、別の選択をしていれば近道だったのかなどと考えてしまいます。ただ、現実には近道や遠回りというものは存在しません。

あるのはそれが近道であると今の自分が信じようとしている、遠回りであると今の自分が信じようとしている、その決断だけです。そしてその決断の多くは、自分が傷つかないよう今の自分を正当化するために使われます。

その道が実際に近道なのか遠回りなのか、誰にもわからないし証明のしようもありません。わからないもの、変えられないものに執着するのではなく自分で変えていける目の前の現実に目を向ける。それでしか建設的な判断も確かな前進もすることはできません。

そのためには、「常に完結している今」をしっかり意識することです。まだない未来にもうない過去、近道も遠回りもすべてそこに向けて考えられるものです。まだないものやもうないものについて考えるから悩むし迷ってしまうんです。

余計な考えはやめて先入観も持たず、ただ目の前に起こっていることをしっかり受け入れその都度その都度自分ができる最善の選択や行動をしてほしいと願っています。それが幸せへの建設的で確実な前進になると思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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