こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。
大切な判断に迷うとき、自分の正しいと思っていた行動が否定されたとき、努力がなかなか成果に結びつかないとき。いろいろな場面で何が正解なのかわからなくなる瞬間があると思います。
正解がわからない、だから今の自分の行いが間違っているのではないかと自信を持てず疑ってしまう。よほど誰かに「これが正解だよ」と言われ何も考えずにその道に従った方がどれだけ楽かと思ってしまいますよね。
どうして何かを選択するときに何が正しいのかわからなくなってしまうのか。正しい選択をするためにはどうすればよいのか。そして正解がわからなくなってしまったときにはどう考えればよいのか。
そのときの心理も踏まえ、今回もじっくりと考察していきたいと思います。
目次
正解が「わからない」のではなく「決められない」
人生の多くの場面で求めたり求められたりする「正解」。それがわからず悩んだり傷ついたり、その状態が悪化して自分はどうすればいいのかわらないと自暴自棄になったり、自分だけではなく他人を傷つけたりとどんどん豊かな毎日から遠ざかってしまいます。
ここでまずしっかり意識をしたいのは、正解はそのときまだ存在しておらず誰にもわからないということ。そして、今求めている”正解”はこれからの自分がつくり上げていくものということ。多くの人が「何が正解なのかわからない」と言いますが、本当は違います。本当は「何が正解なのかを決めることができない」のです。
◆どれもが正解を信じて進んだ道
人間には予知能力もなくタイムマシンもなく、未来がどうなるかはわかりません。ただ予想をするしかできません。それは誰もがわかっていることなのに、未来にある「正解」に対して悩み苦しんでしまいます。
そして予想の中に多くの不安や恐怖などが入り込み自分の正義や決断が曇ると、考えることをやめ「何が正解なのかわからない」と自分の正解を決断する勇気を失ってしまいます。
・子供の頃のクリスマスプレゼント
・入学したいと思った志望校
・多くの人の中から巡り合った恋人や結婚相手
・様々な種類の中から選んだ職業や趣味
・これまで住んできた家、購入したマイホーム
・最愛の我が子につけたかけがえのない名前
これらはすべて正解がわかっていたから選んだのではなく、自分で「これが正解」と決断しそれを信じて進んでいった結果です。未来がわからない以上今の自分に「正解がわからない」のは当たり前なんです。ただそれが正解であると決断すること、そしてその決断を信じそこに向かう努力をすることは今の自分にできることです。
自分では変えられないものを見て悩み立ち止まってしまうのか、自分で変えていけるものを見てその方向に前進していくのか。どちらが健康的な毎日になるかがわかると思います。
どんな答えも正解にも不正解にもなる
どんなに迷っても悩んでも、その答えは正解にも不正解にもなる。このことについて例を見ながら考えてみたいと思います。
この場合、別れることが正解でしょうか?それとも不正解でしょうか?おそらく誰にも答えは出せないですよね。ただ仮にここで別れることを選んだ場合、それは今後正解にも不正解にもなるんです。
たとえば、別れた後に出会いの場に積極的に参加してまた別のBさんと付き合ったとします。その人はこまめに連絡をくれたり会っていないときにもちゃんと安心させてくれる人で、この人に出会えてよかったと思えます。この場合今回の選択は正しいものと思えます。
一方、Aさんと別れたことを引きずり殻にこもってしまい、人間関係を避けたりドラマのような運命の出会いにすがってしまう。そして「あのとき別れなければこんな寂しい思いはしなかったかもしれない」と感じる。この場合今回の選択は不正解だったと思ってしまいます。
これは前者が自分の選択を正解にするために努力した結果、後者はそうでない結果と言えます。どちらも「正しい選択をしたかどうか」ではなく、「正しい選択とするために努力したかどうか」の結果なんです。
◆正解、不正解は今後の自分が握っている
もっと言えば、たとえばBさんとしばらくは楽しく過ごせたとしても、後々別れてしまう可能性もあります。そしてそのとき、もしかしたらAさんのことを思い出し「あのとき別れていなかったら今はどうなっていただろう」なんて後悔をする日がくるかもしれません。そうなれば、前回は正解だった答えがここでは不正解になります。
同じ決断がそのとき自分が何を見て何を信じているかによって、正解になったり不正解になったりを繰り返していきます。なので自分がこのとき出した答えというのは、どんな答えでも正解になり得るし不正解にもなり得るんです。
どんなに賢く立派な人でも、今この場で絶対的な正しい答えを出すことはできません。今できることは、そのときの自分の気持ちに正直でいること、そしてどんな選択をしたとしてもそれを「正解」とするか「不正解」とするかは今後の自分が握っていると信じること。これだけです。
今の自分が正解と信じようと決めたものが正解となり不正解と信じようと決めたものが不正解になる。いつでも今の自分が当時の決断をどう見るかによって、それは何度も正解と不正解と形を変え続けていきます。
「正解を選ぶ」勇気ではなく「正解と信じる」勇気
仕事や家庭などで選択を迫られたとき、新しい何かに挑戦をしようと思うとき、今の環境に不満を感じているとき。人生では決断をしなければならないときが多々あります。そのときに大切な心構えは、「正しい選択を決断する」のではなく「正しい選択と信じることを決断する」ということ。
どうなるかわからない未来のことを決断しようとするから悩みます。まだないものの形を一生懸命見ようとするから迷います。でも未来を、まだないものの形を信じようと決断することは今の自分にできることであり、そこに必要なのはその勇気と覚悟だけです。
1年後、結果的にその選択によって自分が傷ついたとしても、また1年後にはその選択によって救われているかもしれません。逆に今日正解と感じていたことが、誰かの一言で明日には不正解と感じているかもしれません。
そのときそのときで、自分の出した答えが正しいと信じることを決断できるかどうか。それが良い・悪いという以前にそれしかできることはありません。
◆選択は自分の生き方を信じるための試練
今の選択を正解と信じる勇気や覚悟は、言い換えればそのときの自分の素直な気持ちを信じる勇気や覚悟ということです。そして自分の素直な気持ちを信じる勇気や覚悟というのは、今のそしてこれからの自分の生き方を信じる勇気や覚悟です。
今の自分の生き方に自信を持つこと、そしてどんな結果になってもそれを受け入れる勇気と覚悟を持つこと。何かを選択するときというのは、その勇気や覚悟を試されているときとも言えると思います。
その試練に打ち勝つために、正しい選択をしなくてはいけないと自分を追い詰めるのではなく、正しい選択であると信じようと思うことでもっと前向きに考えられるようになると思います。
失敗は成長のひとつの側面
それでは最後に、正しい選択と信じることを決断するためには何が必要かについて考えていきます。
それはずばり「失敗は成長のひとつの側面」であると理解することではないかと思います。失敗して何かを失うのが怖い、ダメなやつだと思われたくない、期待を裏切りたくない。だから答えを出すことにためらい迷ってしまいます。
◆失敗に対する恐怖
選択することの恐怖は失敗に対する恐怖です。すべての選択が自分にとってプラスの結果になると最初からわかっていれば、誰だって迷ったり悩んだりはしません。
そして失敗に対してなぜ恐怖を覚えてしまうかというと、小さい頃からの賞罰教育、他人との競争や比較、過程より結果を重んじる社会により徹底的に失敗は悪いことと叩き込まれてきているからです。人間の不完全さや個性や可能性は無視され、まるでロボットのように能力や生産性ばかりが注目され続けてきたからです。
ではその能力や生産性が高い人たちがなぜ活躍できるのかというと、人一倍の失敗とそれを乗り越えてきた努力や成長があるからです。成功も失敗も、正解も不正解も、前進も後退も、それぞれ成長のひとつの側面でしかありません。それぞれが支え合い補い合いひとつの目的に向かっているから人は成長できるんです。
◆正しい選択のための入り口
「失敗を恐れるな」と言葉で励まされたとしても、勇気を失っている人はその背後にある無責任さや否定・強要などの要素を察知して一般論やきれいごととして処理してしまうでしょう。
成長は言葉や思考ではなくて、実際に自分が体験しそして実感することでしか本当に理解することはできないと思います。
なので、他人からどう言われるかは関係ありません。それをどう受け止めるかは自分の自由です。そうではなく、もっと自発的に「失敗は成長のひとつの側面」ということを意識して世界を眺めてほしいと思っています。
そしてそれが今の自分の生き方に自信を持つこと、「正解がわからない」という迷いや悩みを解消する入口になります。
最後に
多くの場面で「正解」を求め、求められる日常。そのとき意識したいのは、「何が正解なのかわからない」のではなく「何が正解なのかを決めることができない」ということ。
今までのすべての選択は、あらかじめ正解とわかっていたものではなく「これが正解」と自分の決断を信じたものです。そしてその後の行動によって、その結果を正解と見たり不正解と見たりしています。
すべては今の自分がその結果をどう見ているかがすべてで、それによって今は正解のものも数日後、数年後には不正解となり得ます。そしてそれは人生をかけて常に今の自分によって正解とされたり不正解とされたりしていきます。
なので、選択を迫られたときに必要な心構えは「正解を選ぶ」のではなく「正解と信じる」勇気を持つということ。どうなるかわからない未来を今知ろうとせず、これからの自分が正解に変えていくという勇気を持つことです。
そのためには、失敗は成長のひとつの側面であると理解すること。失敗を恐れたり否定したりせず、失敗や不正解や後退や挫折などを「悪」と考えないということです。それらがあるからこれまでも成長し楽しさや愛しさや喜びを体感できています。
小さい頃高いところから落ちて痛い思いをしたから高いところに危険を感じられるようになるし、誰かを無意識的に傷つけたことがあるから言葉を選べるようになるし、仕事でミスをしたから挽回のためにこれまで以上の努力ができたり別の仕事を選ぶ決心ができるし、自分勝手に生きて嫌われ孤独を感じたことがあるから人の中で生きていることを実感できるんです。
すべての失敗は成長のひとつの側面。その小さなひとつひとつが今の自分の生き方を受け入れ見直すきっかけになり、その成長は必ず何かを選択するときの勇気につながっていきます。
注目すべきは正解か不正解かという事実ではなく、自分がその選択を正解と信じらるかどうかです。これからの人生で多々訪れる選択と決断の瞬間。どうか自分の生き方を信じ、自分の決断を信じ、その答えを正解へと変えていけることを願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。