怒りと悲しみの関係を徹底解説。悲しみがあるから怒りが生まれる?

コミュニケーション

こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。

今回のテーマは「怒りと悲しみ」について。怒りと悲しみは負の感情の中でも多く取り上げられるワードですよね。そしてどんな人でも必ず苦しめられるものでもあると思います。

このふたつにはどんな関係があるのか。どうしてこれらの感情が生まれ、いつまでも繰り返し苦しめられるのか。これらの感情とうまく付き合っていくにはどうすればよいのか。

当たり前のように語られ当たり前のように日常で使われている負の感情について、この記事を読み終えたときに少しでも考え方が変わり楽になってもらえたら幸いです。



それではじっくり考えていきます。

怒りが単独で生まれることはない

ついカッとなってしまった、抑えることができなかった。怒りは突発的なもので制御のきかないものというのが一般的な認識だと思います。ただ、怒りは副次的なもので何もないところから単独で生まれることはありません。

怒りが生まれる前には、別の多くの感情が芽生えています。たとえば悲しみ、たとえば恥ずかしいという気持ち。その他にも不安や落胆やみじめさや孤独感など。そうした感情が芽生えたとき、同時に生まれるのが劣等感です。何に対して劣っていると感じるのか、それは「こんなはずはない」という理想の状況に対してです。

◆劣等感を補うための怒り

人は「きっとこうなるだろう」という理想的な予測と現実がずれ始めると、それに伴ってある感情が芽生えます。その乖離が大きいほど、感情も比例して大きくなります。

たとえば自分は正しいと思って堂々と主張した意見が「そんな意見は求めていない」「的外れなことを言うな」などと否定されたとします。このとき、この否定はすぐに怒りには直結しません。その前に別の感情が密かに芽生えているはずです。

それはみんなの前でバカにされたという恥ずかしさであったり、意見を受け入れる寛容さや度量のなさに対する落胆だったり、自分は間違っているのかもしれない不安であったり。そして同時に生まれる劣等感に苦しむことになります。

その劣等感を補うためにどうするか、そこで怒りを使うんです。怒りをもって悲しみや恥ずかしさなどを覆い隠す形で劣等感を補おうとします。不健全な態度ではありますが、これは自分が傷つかないように守るための防衛本能のようなものです。

◆注目すべき負の感情

悲しみをはじめとする多くの負の感情。その感情は強烈でいつまでもその状態に耐えられるほど人間は強くはありません。どうにかしてその状況を抜け出すように、常にマイナスからプラスへ向かうように心は働きます。

そうした負の感情と向き合い乗り越えるだけの活力や寛容さや他人への信頼を持ち合わせていない人は、「自分は悪くない、相手が悪い」というようにそこで怒りを使い負の感情に蓋をします。

何かの出来事がすぐに怒りに直結するということはありません。多くの負の感情が芽生えそれを克服できないと感じるから、その状況を抜け出したいから、怒りを相手にぶつけるんです。なので本来注目すべきは怒りではなくその前に芽生えている負の感情なんです。

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感情は人との間で使われるもの

ここでひとつ注目したいのが、「感情がある場所」についての考え方です。負の感情に限らず、喜びや感謝、信頼や安心といったプラスの感情もすべて、自分の心の中にありそれらによって自分の行動が変わると考えられます。

でも本来感情とは、自分が何かの目的を果たすために自分と誰かしらの相手との間にあり、その相手に向けて使われるものと考えます。

◆ある目的に向かって使われる感情

たとえば先ほどの例のように、自分の意見を否定されたとします。そのとき芽生える悲しみや落胆。これは心の中にありそこで「燻り続けるもの」ではありません。何かしらの自分の目的を果たすために、意見を否定した相手に向けて「使われているもの」です。

ではここではどんな目的があるのか。ここで相手の発言で悲しい思いをすれば、自分は被害者だという意識を持つことができます。そして悲しい顔をすれば、相手や周りに「自分は辛い状況だ」ということを伝えることもできます。

また落胆をすればその人に失望したり嫌いになることができるので、その人と仲良くしたり積極的に関わろうと思わずに済むようになります。こうして、悲しみにしても落胆にしても、何かしらの自分の目的に沿ってその相手に向けて使われているものと考えます。

ここで大切なのは、「それが自分で変えていけるものである」ということ。もし悲しみも落胆も心の中に燻り続けそれによって自分の行動が左右されてしまうのであれば、もう自分ではどうすることもできません。感情に従って行動せざるをえなくなります。

◆負の感情を使う必要はない

ただ、今の悲しみは自分の辛い状況を相手にアピールするためのもの、今の落胆は相手を嫌いになり関わらないようにするためのもの。それぞれその目的のためにつくり出され使われていると考えるとどうでしょうか。そうなると自分で変えていけるということに気づけると思います。

相手にアピールする必要などない、相手を嫌いになる必要などない。その目的を意識してそれが変われば、負の感情を使う必要もなくなります。

喜びや感謝、こうしたプラスの感情も相手に向けて使われます。喜びや感謝を伝えることで、その人を認め良いところを見ようとし好きになろうとします。こうしたプラスの感情はどんどん使っていくべきですが、人間関係を壊したり自分を苦しめるようなマイナスの感情は使う必要はありません。

悲しみに耐えきれず怒りを使ってそれに蓋をしようとする。それは相手に向けて悲しみを使い、自分が思うようにその反応を得られないから起こることです。

そもそも悲しみを誰かに向けて使う必要がないということがわかれば、怒りが生まれることもなく人間関係に摩擦が生まれたり必要以上に自分を苦しめることもないんです。

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怒りの感情を使う目的

悲しみや恥ずかしさなどの負の感情により劣等感が生まれる、そしてそれを補うために怒りという手段を選ぶ。それではなぜ怒りを使う必要があるのか、怒りを使う目的は何なのかについて考えていきます。

怒りを使って果たしたい目的、それは相手に自分の言うことを聞かせることであったり自分の権利を押し通すことであったり対話で優位に立つことであったりと色々なことが考えらると思いますが、一言でいえば「自分は正しい、あなたは間違っている」ということを相手に理解させるためです。

◆なぜ怒りが必要なのか?

自分の正しさを相手にわかってもらいたい、でも論理的に伝えることができない、または伝えても理解してもらえる自信がない。そうすると、手っ取り早く怒りという暴力的な方法で相手に自分の正しさを押し付けます。

そして相手の屈服や謝罪をもって、自分は正しいんだということを実感しようとします。ただ、ここでの屈服や謝罪というのはその「正しさ」を理解したから出たものでしょうか。そうではなく、おそらく怒りへの恐怖やトラブルの面倒さ、相手への失望や拒絶などからではないかと思います。

そのとき、相手には「この人は理性的に伝えることができない未熟な人だ」という洞察が必ず生まれます。これでは良好な人間関係は気づけず、また自分の浅はかな部分を露呈してしまうだけで信頼関係も築くことができません。

本来正義は自分の行動や信念に反映させるべきもので、相手に押し付けたり無理やり理解させるものではありません。本当に自分の正しさを主張して理解してほしいのであれば、人の間で生きる以上それなりの時間も労力もかかることやある程度譲歩する覚悟もしなければなりません。

そういった地道な努力を放棄して「自分は正しい、あなたは間違っている」ということを押し付けるために怒りを使うんです。

悲しみも不安も落胆も誰もが体験する感情です。人との間に生き社会の中で生きる以上それらを避けて通ることはできません。ただここで怒りを使って一時的にそれらのマイナスの感情を抑えつけたとしても、必ずそれは繰り返され相手によって左右される不自由な人生になってしまいます。



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自分の問題と相手の問題

それではここから、悲しみや恥ずかしさなどのマイナスの感情を相手に向けて使わないようにするためにはどうすればよいか。またそれらに蓋をするために怒りを使わないようにするためにはどうすればよいかについて考えていきます。

最初に結論から言うと、相手の考えるべきことまで自分で背負わないようにするということです。先ほどの例をもう一度見てみます。

正しいと思って堂々と意見を主張した。
ところが「そんな意見は求めていない」「的外れなことを言うな」と否定された。

だから
・理解してもらえず悲しい気持ちになった
・受け入れる寛容さのない相手に対して落胆した
・自分に能力がないのではないかと不安になった
・バカにされているようで恥ずかしくなった


そしてこれらの負の感情に耐えることができず。相手に怒りを覚えることで「自分は正しい、相手は間違っている」と押しつけ劣等感を補おうとします。

それでは、例の中にあるこれらは自分と相手のどちらが考え行うことでしょうか。

・理解すること
・受け入れること
・能力がないと判断すること
・バカにすること


これらはすべて相手が考え相手が行うことです。自分が考え自分が行うことではありません。悲しみなどの負の感情を使い、怒りを使おうとする多くの人は、こうした相手が考えるべきことまで自分の問題と考えてしまいます。

◆相手の問題に踏み込まない

そうして「相手は自分を理解しなけらばいけない」「相手は自分をバカにしてはいけない」と思い込み相手の問題にまで踏み込んでそれさえも自分が調整しようとします。そしてそれに失敗をすると負の感情が生まれ苦しい思いをしてしまいます。

それらはすべて相手が考えて行う相手の問題で、自分が調整できることではないんです。自分はただ本当に正しい思った意見なら迷わず主張すべきなんです。

その点がしっかり意識できていないと、「そんな意見は求めていない」「的外れなことを言うな」と言われたときにそれをただの客観的な事実や意見として受け入れることができません。自分の理想通りの回答がないことを「自分がしっかり調整できていないから」と誤認識して、それを何とか理想の形にするために悲しんだり落胆したり怒ったりして相手を操作する必要が出てきます。

ですがもしそれが相手の考えるべきことで自分で調整できることではないと意識できていたら、自分の意見は自分の意見、相手の意見は相手の意見と分けて考えて、自分が正しいと思う部分は取入れ不要だと思うところは聞き流したり切り捨てるだけで済むはずです。

そして悲しみや恥ずかしさや怒りなどを使う必要もないことに気づけると思います。

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相手に伝える方法を考える

悲しみや怒りを使わないということは、自分の感情を押し殺したり無感情になるということではありません。そうした感情を相手に押し付けて強要したり操作したりしないようにするということです。

たとえば何度も同じ失敗や業務怠慢が目立つ部下、約束をいつも破る友人や恋人など。そのような人たちに怒りや失意、不安などを覚えそれを相手にぶつける。そして「私の理想通りに行動しなさい」と強要したり操作しようとする。これはあってはならない姿だと思います。

◆できることはただひとつ

ただ、相手の成長につながる場合、知らないことを教える必要がある場合など、状況よっては相手に自分の気持ちを伝えなければならないときがあります。そのときできることは、相手に強要するでもなく操作しようとするのでもなく、自分の感情を素直に理性的に伝えることだけです。

失敗や業務怠慢が続く部下がいるなら、「なぜできないんだ!」「もっとまじめにやれ!」と頭ごなしに叱るのではなく、「何度伝えても改善してもらえないことが悲しい」「まじめに業務をしてくれないことにがっかりしている」と伝える。

約束をいつも破る友人や恋人なら「何度もこんなことが続くとこの先の付き合いが不安」「ないがしろにされているようでみじめな気持ちになる」などを伝える。

こうして自分の素直な感情を相手に伝えるということです。そこに強要や操作の目的はありません。それを聞いて相手がどう反応するか、行動を変えるか変えないかは相手が考えるべきことなので、そこまで踏み込み強要したり操作することはできません。

そうした自分の素直な気持ちを伝えた上で、そしてその反応は相手が考えるべきことと理解をした上で「何か手伝えることはないか」「どうすれば改善できるか一緒に考えよう」など信頼し協力したい姿勢を一緒に伝える。

あくまでこちらができるのは、自分がどう思っているか、自分がどうしていきたいか、そして改善に向けて協力・努力したい気持ちがあることを伝えることだけです。

どれだけ寄り添っても一向に伝わらず相手が行動を変えないとしても、それを強要して自分の理想通りに変えることはできません。そのときは距離を置く、別れる、異動や減給を検討するなどまた自分ができる自分の問題と向き合わなければなりません。

悲しみや怒りを相手に強要したり操作をする目的で使わないためには、まずは自分と相手が考えすべきことをしっかり分けて考えること。そしてその上で自分の気持ちを素直に伝えること。そして相手がどんな回答をしたとしてもそれを尊重しまた自分が考えすべきことに目を向ける。この考え方が大切になるのではないかと思います。

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最後に

怒りという感情そのものが、何もないところから単独で生まれるということはありません。その裏には悲しみや恥や不安やみじめさなど多くの負の感情が潜んでいます。

その劣等感を補う手段として、手軽な怒りという手段を使って「自分は正しい、あなたは間違っている」ということを押しつけようとします。なので、まずは怒りの内に潜むマイナスの感情に注目する必要があります。

また感情は心の中で燻り続けるものではなく、そのときの目的にそって誰かしらの相手に向けて使われているもの。心の中で燻り自分の行動を左右していると考える限り手の出しようがないですが、目的達成のためにただ負の感情が使われていると考えると、自分で変えていくことができるということに気づきます。

そして悲しみや怒りなど負の感情を相手に強要したり操作する目的で使わないためには、まず自分と相手が考えるべき問題をしっかり区別して意識すること。そして相手の問題には一切踏み込まず、ただ自分の思いを素直に相手に伝えること。これだけです。

悲しみと怒りの関係は身体と洋服のようなもの。傷だらけの身体を隠すために怒りという洋服を着て自分の理想通りの姿に変えようとします。でも本当に必要なことはそうやって着飾ることではなく、体の傷を癒すこと。

そのためには、悲しみや不安や孤独など負の感情を自分の正当化や他人を操作するための道具として使うのではなく、それをなくすために努力と成長を経て自分が精神的に強くなるしかありません。

目標に向かって一生懸命努力する人、ルールや規則を守りまじめに生きようとする人。人生や世界と真剣に向き合っている人ほど、プラスの感情もマイナスの感情も多く揺れ動くと思います。

負の感情に押しつぶされそうになったとき、ぜひ今回の内容を思い返し少しでも気持ちが楽になってもらえたら幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。



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