「誰も信用できない」他人を信用できない理由やその心理とは?

人間関係

こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。

信用していた人から裏切られた、好きな人から嘘をつかれた。そうした経験から他人を信用することを恐れ、「誰も信用できない」「他人を信用するのは危険なこと」と感じてしまう。多くの人が経験する悩みだと思います。

おそらくこの世界には味方がいないような、誰もが自分を敵視しているようなそんなつらい心境になってしまっているのではないでしょうか。

そもそも人を信じるとはどういうことなのか。なぜ「裏切られた」「騙された」という感情が生まれるのか。人を信じ続けるにはどう考えればよいのか。裏切りを覚えたときの心理状態や人を信じ続けることが難しい理由などを踏まえ、じっくり考えていきたいと思います。

この世界は「誰も信用できない」ような場所ではありません。今の自分がそういう場所として思い込みそう見ようとしてしまっているだけなんです。

今回の内容が少しでもその思い込みや考えを解きほぐす役割になれば幸いです。



人間関係において必要なのは信頼

「信じる」という行為には大きく分けてふたつの種類があります。ひとつは「信用」、そしてもうひとつは「信頼」。他人を信じることができないという人は、まず最初にこの信用と信頼の違いについてしっかり理解をしておく必要があります。

信用について

その人の能力や実績など、その人の条件に注目しそれが信じるに値するなら信じる。逆にその人の条件が信じるに値しないものであれば信じない、この態度が「信用」です。

信用金庫といったり英語で「クレジット」ともいうように、あくまで見ているのはその人ではなくその人が持つ条件です。返済能力があると判断すればお金を貸す、成功させる能力があると判断すれば仕事を任せる、きっと見返りをくれるだろう、信じれば自分に得があるだろうと思えるなら力になってあげるというように。

信頼について

次に信頼。信頼というのはその人にどんな過去や実績や能力があろうと一切関係なく、一切の担保を考えずその人自身を信じるという態度。その人の人柄、生き様、可能性など信じる姿勢です。更にいうとその人の持つ「善意」を信じるということです。

どんな人でも、客観的に見たその行動の良し悪しに関わらずその裏には「善意」があります。ここで言う「善意」とは自分にとってためになる、今の自分よりプラスに向かう意思ということ。自分を知ってほしい、認めてほしい、傷つきたくない、嫌われたくない、居場所がほしい、愛してほしい。こうした「善意」によって誰もが無意識的な行動をしています。

こうしたその人が持つ「善意」を信じるということです。こうした「善意」を誰もが持っていることを知り、誰もが今の自分からプラスの状態になりたいと願っていることを理解し、その上でその人自身を信じるという態度が信頼です。


信用は裏切られることがあっても、信頼は裏切らるということはありません。それは見返りを求め自分の理想を介して見る「信用」に対して、「信頼」は見返りも求めず現実のその人を見てこちらから一方的に信じようとする態度だからです。

自分以外の損得や利害が絡む会社や組織など、仕事上ですべてを信頼するのは難しくすべきではないと思いますが、ただ目の前の人の人間関係、個人的な付き合いでその関係が深ければ深いほど信用ではなく信頼の姿勢を持つことがまず最初に必要なことです。

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信頼「できない」のではなく「したくない」

他人を信用できないと思ってしまう人は、これまで「信頼」ではなく「信用」をしてきたから。なので自分の理想通りの結果や見返りがないことに落胆したり裏切りを覚えてしまいます。

ではなぜ信頼することができないのでしょうか。なぜ誰かを信じようとするときについ「信用」をしようとしてしまうのでしょうか。

◆信じることをやめる口実

それはシンプルに、信頼「できない」のではなく「したくない」と思っているからです。これは無意識的なものですが、先ほどのように人間には誰にでも傷つきたくない、嫌われたくない、安全でありたいというように今の自分よりプラスな状態にありたいという心理作用があります。

そこでその人の善意を信じ何の担保も考えずにその人自身を信じようとするとどうなるか。損をするかもしれない、自分が責任を負うことになるかもしれない、騙されるかもしれない。自然とこのような発想が生まれます。

信じたいという気持ちより「傷つきたくない」という気持ちが強くなりその限界値を超えたとき。信じ続けることをやめるために「裏切られた」「騙された」という口実をつくり出します。そしてその口実は「信頼できない」のではなく、「もう信頼したくない」という気持ちから生まれるものです。

◆信頼することの難しさ

時間を守らない、約束を破る、言っていることと実際の行動が違う。このようについ裏切られたり騙されたと感じてしまうことは多々あると思います。このとき、そのような人をこれから先信頼するかどうかを決断するのは自分の自由であり、たとえ信頼しない決断をしたとしてもそれは悪いことでも責められるようなことでもありません。

ただ、このような経験を理由に「誰も信用できない」「他人は信用してはいけない」という信念を持ってしまうことは、非常に毎日を生きにくくしてしまいます。これは相手からの見返りを求め相手の条件を見て信じるか信じないかを判断しようとしているから起こってしまうこと。

そうではなく、そういった相手の条件は一切関係なく自分がその人を信頼し続けるのか信頼することをやめるのか、その点をシンプルに考えるだけでだいぶ楽になります。

とはいえ、恋人や夫婦・親子などの家族関係、お世話になった恩人や師弟関係など、ただ信頼しない決断をするだけでは済まないという関係もあります。このときできることはただひとつ、「信頼し続ける勇気を持つこと」だけです。

正しくは、信頼し続けることでその意味を相手に伝えていくことだけです。見返りを求めるでもなく理想を押し付けるでもなく「私を裏切るな」と強要するのでもなく。裏切られても騙されもひたすら信頼し、その意味を相手に体現させ伝えていくことしかできません。

たとえば浪費が激しく借金グセのある夫や彼氏がいたとします。借金をするたびに妻(彼女)は「なんで何回言っても直してくれないの?」「こんなことが続くなら別れる」などと問い詰めます。それでも夫(彼氏)はやめません。

たとえそこでやめたとしても、それは罰を恐れた結果であって良好な人間関係からは遠ざかり、またその効果も一時的なものでしょう。その抑圧によって大きなリバウンドを招くかもしれません。

ただここで何も言わず見守り、お金を貸してほしいと言われれば快く応じ、「大丈夫?何か困ったことはない?」などと声をかけ続けたとします。そして何度も何度も同じようなことが繰り返されると何が起こるか。その人の中である逆転が起こります。

それは浪費グセをやめることよりも信頼を裏切り続けることの方が難しくなってくるということです。これは情に訴えたり相手を操作するために行っているわけではなく、相手が自発的に信頼の意味を理解しそれに応えたいという気持ちになるために手を差し伸べているということです。

誰かを信頼し続けるということは勇気も覚悟も必要でとても難しいことです。その勇気や覚悟を持てない人は、本当は信頼「したくない」と思っているのに信頼「できない」と言い、自分が相手を信頼しないのではなく相手が自分を信頼させてくれないと思うようになり信じることをやめてしまいます。

「信頼」とはどこまでも能動的なもの

相手が自分に何かをしてくれるなら信じる、自分の理想通りになったときだけ信じるという信用。それに対し何をしてくれなくても理想通りに行かなくてもひたすらこちらから信じるという信頼。

信頼とはどこまでも能動的なもので、ただこちらから一方的に行い続けるもの。そしてそれをしたいと思うか思わないのか、それが誰かを「信頼する」ということのすべてです。

信じないための理由や口実を考えたり相手の反応まで自分が考えるべきことと思ってしまうととても複雑なものに思えますが、シンプルに自分ができることはただ相手の「善意」に目を向けそこを信じ続けること。嘘をつかれても騙されたと感じても、信じる姿勢を崩さずその意味を相手に伝え続けること。これしかありません。



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自分と相手のすべきことをしっかり見分ける

それでは続いて、相手を信頼するためにはどうすればよいのか、能動的に一方的に信じ続けるためには何が必要なのかについて考えていきます。

少し話がそれますが、人間関係や世の中を複雑なものと捉えてしまう人には共通点があり、相手の考えるべきことまで自分が考えなくてはならないと思ってしまいます。

いくつか例を見ながら考えます。

怒って意見を通そうとする人

意見が食い違い怒りで自分の主張を通そうとする人。周りにもきっといますよね。でも、自分の意見を相手がどう思うか、そしてそれに対してどんな反論をするか。それは自分ではなく相手が考えるべきことで自分ではどうすることもできません。自分ができることは、本当に良いと思う意見をできる限りわかりやすく誠実に伝えることだけです。

ただここで怒って何とか意見を通そうとしてしまう人は、相手が考えるべきことや反論すべきことまで自分の問題だと考えてしまいます。だから、「相手は自分の意見に賛同するべきだ」という考えから自分の思う通りにいかない場合や自分の考えと反したことを指摘されたりするとそれを受け入れることができません。

本来自分の意見が本当に正しいと思えるなら自分の中で完結できるはずなのに、それを相手にも納得させようと相手が考えるべきことまで干渉し強要してしまいます。

自分に自信がなく悩む人

周りからの期待に応えられていない。きっとダメなやつだと思われている。こんな風に自分に自信を持てず悩んでしまう人。これも同じように、「期待に応えられているかを判断する」「ダメなやつだと思う」というのは自分ではなく相手が考えるべきことです。

自分ができることは期待に応えられるようにできることを精一杯やるだけ。努力し成長も感じできることを精一杯やり遂げたなら、自分のすべきことはそこで終わりです。ただこのように悩んでしまう人には続きがあります。それは「相手が自分をどう思うか」を考えること。

相手がどう考え自分をどう評価するか、それも自分が考えるべき問題であると勘違いしてしまいます。なのでその結果が自分の思う通りにならなければ、相手を恨んだり裏切りを感じたりします。

どちらの例も、自分のすべきことと相手のすべきことがしっかり見分けられていない結果です。自分ではどうすることもできない相手の問題に土足で踏み込み、そこまでコントロールしなければならないと考える。

そしてそのコントロールがうまくいかなったときには理想と現実から劣等感が生まれるので、その劣等感を補うために怒りや悲しみ、不安や落胆などの感情を使って相手や自分を攻撃したり不適切な方法で正義を主張したりします。

◆信じる/応えるは誰がすべきことか

話を戻しまして、「誰かを信頼する」ということもまったく同じことなんです。こちらが誰かを信頼すること、それは当然自分がすべきことで自分の問題です。でもそれにどう応えるかというのは、自分では決して強要のできない相手の考えるべきことなんです。

それを、信頼に応える、同じようにこちらを信頼する、という相手の問題にまで踏み込みそこまで自分がコントロールしようとするため「裏切られた」「騙された」という感情が生まれます。

相手が自分の信頼に応えるか、同じように自分を信頼してくれるか、それは完全に相手側の問題で自分が考えるべきことではありません。自分が考えすべきことは、自分が相手を信頼すること、そしてその姿勢を通して信頼とは何かを伝えていくことしかないんです。

100%伝わるという保証はありません。また相手の変化を期待しながら行うことでもありません。ただそれが本当に大切な人や愛する人、良好な人間関係を保っていきたい相手なら、相手の問題には踏み込まず自分のできる精一杯をただ伝えるという勇気や覚悟を持って信じ続けてほしいと思います。

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最後に

人間関係において、その深さが深くなるほど必要になるのは「信用」ではなく「信頼」。その人自身を見て、その人の中にある善意をしっかり理解して信頼し続けること。

能動的な姿勢である信頼には、裏切りや騙されるといった概念は本来ありえません。裏切られたと感じるのは信用の姿勢、つまり相手自身ではなく相手の条件を信じ自分の理想通りの場合のみ信じる姿勢という証拠です。

信頼することはたくさんの勇気や覚悟を必要とするとても難しいこと。ただそれは自分が考えすべきことだけを行うとてもシンプルなものです。そこでそれに対して応えてくれるか、同じように信じてくれるかという相手の問題まで踏み込もうとすると、一気に様相は複雑になり信じ続ける勇気や覚悟が失われていきます。

自分ができることは相手を信じ続けその意味を伝えること、相手がすべきことはそれをどう受け止めどう反応するかを考えること。逆を言えば、その人を「信頼するのをやめる」ことについてはもちろん自分が考えるべきことですが、それに対して相手がどう感じどう受け止めるかについては相手が考えるべき問題です。

もし信頼し続けることが明らかに自分の人生に悪影響を及ぼすなら、そのときはこうしたつらい決断も必要になるときがくるかもしれません。そのときもどうか自分の問題と相手の問題を混同して考えて必要以上に自分を苦しめないように。

しっかりここを見極め、今回の内容が「誰も信用できない」「他人は信用してはいけない」というつらい状態から抜け出せる手助けになることを願っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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