好きな人の性格を知る方法は?誰でもできる簡単な性格の見抜き方

人間関係

こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。

この記事を読んでいただいているということは、今身近で好きな人や気になっている人がいるのではないかと思います。その人がどんな性格をしているのか?本当はどんな人なのか?どうしても興味が湧いてきますよね。

今回は、好きな人の性格を知るためにはどうすればよいか。その上で重要視しなければならないところはどんなところなのか。また性格がわかった後の心構えなどについても考えていきたいと思います。

誰かを好きになる、誰かに興味を持つ。いつ誰にでも訪れるわけではない貴重な機会だと思います。
その機会をしっかり生かせるような手助けになれば幸いです。



言葉だけでは好きな人の性格を知ることはできない

気になる人や好きになった人。そういう人が現れたとき、その人がどういう人なのか興味が湧いて、少しの情報にも敏感になりますよね。性格や考え方や興味があることなど、もっとその人のことを知りたいと思うようになっていきます。

ただここで、一時的な感情に流されてその人との楽しい会話や自分に向けられた仕草だけでその人の性格をわかったつもりになってしまうと、1年後、3年後「こんな人だとは思わなかった」と嘆くことになるかもしれません。

本当に誰かを知ろうとしたときに、その人の言葉や表面的な態度だけでその人を理解することはできません。と言うよりも、理解しようとすべきではないと思います。

それでは、次からその理由やどのように見極めるべきかなどを考えていきたいと思います。

意識的・無意識的それぞれの行動で成り立つ人間

何か物事の本質を見極めるとき、何事においてもその一部分だけを見て判断しようとするとそれが難しくなります。

その一部分とはあくまで全体の中のひとつの要素。その要素の本当の姿を知るには、それが属する全体の中でどういう役割を持ち全体の中でどう影響しているのかを理解しなければなりません。

部分はすべてひとつのゴールへ向かっている

たとえば会社や学校のクラスなどは、いろいろな役割があってひとつの組織になっています。そこには命令を出す役割の人もいればそれを実行する役割の人もいて、場を和ます役割の人もいれば人に嫌われる役割の人もいます。

組織の中には「いろんな役割」という部分があってその全体を作っています。そのどれもが良いものでも悪いものでもなく“必要なもの”としてそこにあり、そしてどんな役割であっても、会社なら利益の追及、学校なら学力向上や卒業、そういったひとつの目的に向かってすべてが機能しています。

場を和ます人がいるからその組織は人間関係が円滑になり業務効率が上がり、嫌われる人がいるからその組織は風紀や育成方法が見直されより盤石なサポート体制を作っていきます。これらはその根本に大前提となる目的があるからです。

人間個人にも言える全体を見る大切さ

これは会社や学校だけに言えることではなく、人間個人にも言えることです。意識的な行動と無意識的な行動。これらの部分よって人間の行動は成り立っていますが、これらは別物として見るべきではなくこのどちらかだけを見ていてもその人の本質は決してわかりません。

例えば「花が好きだ」という人。部屋の見栄えのよいところに素敵な花を飾ります。でも、水をあげ忘れいつもすぐに枯らしてしまう。この人は本当に「花」が好きなのでしょうか?それとも「花が好きと言う自分」が好きなのでしょうか。

この人は、意識的には本当に花が好きなんだと思います。道に咲いている花をきれいと感じ、プレゼントにも決まって花束を選ぶでしょう。ただ、水をあげ忘れいつもすぐに枯らしてしまいます。無意識的な部分では、どこか花を生き物ではなくインテリアのような対象として見ているのではないかと考えてしまいます。

この意識的な「花が好き」という部分と無意識的な「花をインテリアとして見ている」という部分。これはどちらもその人であって、どちらかが本当のその人でどちらかは嘘で、というものではありません。その意識的な部分と無意識的な部分が共存しながら、その人はある目標に向かって生きています。

ただ、これを意識的な「花が好き」という部分だけを見てその人を理解しようとすると、その人の本質は絶対に見えません。

意識的な言葉や感情を支配するその人の統覚

自分の好きな人や憧れの人。自分に向けられたその言葉や仕草にはドキドキしたりひそやかな期待や可能性を感じたりしますよね。逆に嫌いな人や妬んでいる人、そんな人からの言葉や仕草は敵意を感じたり何かと癇に障ったりします。

ではなぜ人によって見方や感じ方、接し方まで変わってきてしまうのか。それは個人によって異なる統覚が働くからです。統覚とは平たく言うとその人なりの認知の仕方、物の見方や感じ方のようなものですが、小さい頃の環境やこれまで何を見て何を選択してきたかによってこれは大きく異なります。

誰も「善」の意識には抗えない

どんな人にもその人なりの「善」の方向があり、その人の発言や行動はすべてその方向に向かって決められます。善と言っても、ゴミを拾う、困った人に声をかけるなど道徳的な善ではなく「自分にとって有益かどうか」の基準となるものです。

たとえば上の例での「花をインテリアとして見る」という行動も、その人なりの「善」に沿って行われているものです。

それはドラマや映画で花が飾られたきれいな部屋を無意識的に覚えていて、自分もそうでありたいという願望からかもしれないし、もしかしたら花をインテリアとして見ていれば面倒な花の手入れを怠って枯らしてしまっても自分を正当化できるからという理由からかもしれません。

いずれにしてもこれらは無意識的なものでその人にとっては「善」の行動。正しい/間違っているに関わらず、どんな人でもこの自分にとって有益かどうかという「善」の意識に従って行動します。

意識的な行動も「善」によって決められる

この「善」に基づく行動は当然意識的な部分にも影響します。これが“言葉だけはその人を知ることはできない”という理由にもなるのですが、まず自分は自分の統覚によってすでにその人を「好きな人」として見ています。その人が自分に向けた言葉に対しては、両手を広げて受け入れる準備ができてしまっているということです。

そしてその相手もまた、自分の統覚を通してあなたに接しています。その言葉には当然「嫌われたくない」「良い人と見られたい」というような一般的な「善」の意識があるということです。ただこれはその人の全体の意識的な部分、その人の性格をつくるほんの一部分です。

その人が自分にとって大切な人であればあるほど、そこだけを見てその人を理解しようとするのは難しく、またそうすべきでもないと思います。




好きな人の全体を見て性格を知る努力をする

それではその好きな人を本当に知るためにはどうすればよいか。それはその人の全体を見ようとすることです。

自分に対しては明るく素直に話しているかもしれないけど、自分より立場が低いと思っている人には横柄な態度をとっているかもしれません。余裕があるときはとても和やかでも、不利な状態になると簡単に人を陥れたり責任逃れをするような一面があるかもしれません。

その人の意識的な部分だけを見て判断するのではなく、無意識的に行っている行動にも目を向けて全体を見て判断をしていくことが大切です。

言葉ではなく行動に注目する

・「任せてください」と言いつつ、その後部下に仕事を丸投げする
・「貴重なご意見ありがとうございます」と言いつつ、時計をチラチラ見ている
・「あなたのことが好きです」と言いつつ、いつも違う異性の友達と遊んでいる
・「ひとりでも大丈夫」と言いつつ、SNSで多くの人と繋がろうとしている
・「人の役に立ちたい」と言いつつ、誰かが行動するまで動かない
・「人との繋がりを大切にしたい」と言いつつ、母親との電話で暴言を吐いている
・「花が好きです」と言いつつ、すぐに枯らしてしまう

人間の行動は、意識的な部分5%に対し無意識的な部分は95%と言われています。どれだけ言葉で自分を主張しても、それは意識された5%の部分でありその人のほんのごく一部。その言葉は言葉として聞き入れつつ本当に見るべきは残りの95%の部分です。

そのためには、言葉ではなくその人の日頃の行動に注目するのが一番効果的で確実。そうすることでその人が自分自身をどう見ているのか、世界をどう見ているのか、何がその人にとって大切でどんな理想を持っているのか。いわゆるその人の性格がわかってきます。

人は無意識的な部分を意識することはできませんが、意識も無意識も区別されるものではなく、すべてその人をつくっているただの要素です。そこに明確な境界線はなくて、そのどちらもその人にとっての目標、つまり「善」の行動に向かっています。

意識的な言葉だけを信じず、無意識的な行動だけでも判断せず、その両方をあわせ見ることでその人の性格も正しく理解できます。

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好きな人の性格がわかった後は?

好きな人の性格が理解できた後、ここからは自分自身の決断が迫られます。たとえば無意識的な行動で嫌な部分が見えてしまい、好きな気持ちが薄れたり嫌悪感を抱いてしまった場合。これはすっぱりと、愛情ではなく支配欲・物欲に似た一時的な衝動だったと考えた方がよいでしょう。

でもその嫌な部分を含め、そのすべてを愛おしく思える。そんな一面も持ったその人とこれから長い人生0から愛情を築いていきたい、一緒に苦労をしていきたい。そう思えるのであれば、その気持ちは絶対大切にすべきだと思います。

好きな人の性格を知りたいと思うことは、一見相手のことを考えているようでその関心は自分にあります。「自分の理想通りの性格であってほしい」という前提をもって接するから、それが叶わなかったときに憤慨したり一方的に裏切られたような気持ちになります。

「自分はこの人からどれだけのことをしてもらえるだろうか」ではなく「自分はこの人にどれだけのことをしてあげられるだろうか」。これが誰かを好きになるときの判断基準になれば、相手の性格や自分の理想などに左右されずもっと純粋に誰かを好きになれると思います。

最後に

ここまで、好きな人の性格を知る方法という内容について考えてきました。

まずは言葉だけでは好きな人の性格を知ることはできないということ。言葉は意識、行動は無意識。それぞれの要素で成り立っているのが人間個人という全体です。

またその意識的・無意識的な行動は、区別されたり比較されたりするものではなく、その人の統覚によってすべてその人が考える「善」の方向へと向かっていきます。どんな人も、自分のためにならないことを積極的にする人はいないということです。

なのでその人を知るためには、意識的な言葉だけではなく無意識的な行動にも目を向けて、その人の全体を見る努力をしなければなりません。この全体を見れるかどうかによって、その人のひとつの行動の意味が大きく変わってきます。

「規則やルールは大切にします」と誠実な一面を見せながら、ふと帰り道でタバコを吸いながら歩いていたらどうでしょう。

そしてその人の言葉や行動からいろいろな面を知った後、その後決断するのは自分自身です。いろいろな要素をもってできているのが個人という全体です。その全体を好きになるか、大切に思えるか。これは感情に任せることでも本能に突き動かされることでもなく、自分自身が決断することです。

この記事を読んでいただいているということは、今少なからず気になっている人や好きな人がいるのではないかと思います。

しっかりその人の全体を見て、その上で愛していこうと決断ができる勇気や寛容さを持たれていることを願っています。

かけがえのない大切な関係に発展していきますように。
最後までお読みいただきありがとうございました。



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