人がルールを守るべき理由と目的。なぜルールを守れないのか?

人間関係

こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。

ルールや規則と聞くと、個人の自由を制限し縛るものという印象がありますよね。「ルールは破るためにある」という言葉などもあり多くの人が影響を受けているかもしれません。

それでも、人が生きるその大前提からルールや規則がなくなることはなく現在も人はその中で生活をしています。そしてルールを破ると逮捕をされたり信用を失ったり仲間外れにされたりなどの罰が待っています。

どうして人間にはそれほどまでにルールや規則が必要なのでしょうか。そしてなぜルールは守られないのでしょうか。

今回は、人が人の間で幸せに暮らすために不可欠なルールや規則について考えていきたいと思います。ぜひ一緒に考えてみてもらえたら嬉しいです。



ルールは人が幸せに暮らすためのもの

まず最初に、ルールは人を縛るものではありません。ルールに人が縛られるのではなく、幸せに暮らすために人がルールを使っています。

国・社会・学校や家庭などに様々なルールがありますが、なぜそれぞれの中で人がルールを定め使用する必要があるのでしょうか。

それは、ルールや規則がない状態で平和や秩序を保てるほど人間が精神的に自立し成長できていないからです。ルールや規則などの強制力がなくても幸せに暮らせる世界が理想かもしれないですが、それができるほど人は強くも正しくも完全でもないからです。

◆個人の自由や権利を守るルール

人は不完全な生き物なので必ず過ちを犯します。そしてそれを正していくことで成長・発展をしていきます。その過ちを正すときに道しるべとなるもの。それがルールであり規則であり常識であり、社会一般での共通認識です。

更に言うと、ルールや規則があるからこそ個人の自由や権利を最大限に行使できるのだと思います。人が人のためにルールや規則をつくりそれに守られているからこそ、その中で自由や権利を主張し実感できるんです。

たとえば法律というルールがなければ、犯罪という概念もありません。犯罪や暴力などが許され認められる世界で、自由や権利を主張することに意味があるでしょうか?

不正や戦争が繰り返され、不本意であっても理不尽であっても、個人が主張する自由や権利なんてその抗いようのない力に呑み込まれてしまいます。だから個人が自由や権利を最大限主張できるように、そしてそれが守られるようにルールや規則が必要なんです。

◆不完全な人間にはルールが不可欠

たとえば社会に出て働くということ。成長や生きがいのため、生活のため、いろいろな理由で人には社会の中で働くという自由も権利もあります。

では誰かが会社のお金を横領したとします。これは法律というルールによって犯罪になりますが、ここでもしそのルールがなかったら、誰もが横領をして許される社会であったらどうでしょうか。会社はすぐに倒産しそして社員たちは仕事を失い、本来保護されるべき「この会社で働く」という自由も権利も剥奪されることになります。

一方ルールが守られ横領などなくその会社が健全に運営されていたとしたら、社員たちの社会で働くという自由や権利は保護され会社の秩序も保たれます。人間が完全ではない以上、個人が自由や権利を主張しそれが守られるように、そして人や社会の平和が保たれるように、ルールや規則はなくてはならないものです。

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権利と責任の関係

ルールや規則がないとなぜ人は幸せに暮らすことができないのか、もう少し掘り下げて考えてみます。先ほど「ルールや規則が必要なのは人間が精神的に自立し成長できていないから」と言いましたが、具体的に言うとそれは権利と責任の関係を意識できていないということです。

何かひとつ権利を主張するなら、同時にその人には責任も課せられます。その責任とは、自分の主張と同様に他人の主張も認める責任であったり、自分の権利主張による周りの変化を受け入れる責任などです。

◆ひとつの権利主張と同時に生まれる責任

たとえば「人はもっと私を尊敬すべきだ」と主張する人。それであれば、「あなたこそ私を尊敬すべきだ」「あなたを尊敬することはできない」という相手の主張も認める責任があるし、また尊敬を強要した結果人間関係が崩れてしまっても、それを受け入れる責任を負わなければなりません。

一方的な主張だけを行い責任を放棄する。そうすると、相手が自分を尊敬しないことに腹を立てたり離れていこうとする相手を束縛したり、人間関係にひびが入ります。もしひとつの組織で多くの人がこのような思想を持っていたら、その組織はすぐに壊滅してしまうでしょう。

また尊敬や愛などを強要した結果相手が精神的な苦痛を感じたり、今後の人生に影響が出てしまう場合などは個人では責任を負うことができません。

◆社会のルールと個人の責任

先ほどの会社のお金を横領するという例も、自分が会社のお金を横領していいと主張するなら他人にもその権利を認めないといけません。自分が相手を傷つけていいというなら、相手から傷つけられることも認めなければなりません。直感的にも不幸に満ちた世界が想像できてしまうと思います。

そのとき会社が受ける損害や信用の失墜などを個人では責任を負うことができません。他の社員たちの生活や日常の変化についての責任も負うことができません。また相手を傷つけて与えてしまった痛みや周りの家族や友人たちが背負う不安や心配についても同様です。

なのでこういった権利は認められずルールや規則によって制限されます。

自主的に権利に対する責任を負うことができない、また個人で負える責任の範疇を超えた権利を主張してしまう。こうした人間の不完全さによって本当に認められるべき自由や権利が奪われることのないように、ルールや規則が存在し人が人のためにそれを使うんです。

なぜ人を傷つけてはいけないのか、なぜ人の物を盗んではいけないのか、なぜ赤信号では止まらないといけないのか、なぜゴミを分別しなければならないのか。様々なルールや規則の中で人間は生きていますが、これらは本来ルールや規則という前に個人の権利と責任の問題なんです。

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自主的にルールを守るためには

ではここらからは、なぜルールを守ることができないのか、そしてもっと自主的にルールを守るためにはどうすればよいのかについて考えていきます。

※今回の記事は、守るに値する健全なルールを前提に進めています。合理性も平等性も持たない理不尽なルールについても絶対に守るということではありません。

◆思い込みと共通認識

ルールを破る人は、自分の思い込みの世界の中で生きている人であり、他人が存在する世界で他人と一緒に生きているという自覚がない人です。自分の世界のルールによって現実の世界を生きてしまうということです。

自分の世界ではもちろん自分が主役であり王様です。なのでどうしてもそこでのルールは自分にとって都合のよいルールになります。その都合のよいルールが物事の良い悪い・正しい間違っているなどの基準となるので、それと異なる社会的なルールを強制や義務として見てしまいます。

一方ルールを守りその中でしっかり成長ができる人には、その前提に「他人と共に生きる世界」があります。無意識的に、自分だけが無責任な権利を主張したらどうなるかということや、人にはそれぞれ違う考え方があるということを理解し納得しています。

他人と一緒に共通の世界を生きている人と、自分の思い込みの世界で生きている人。この違いがそのままルールを守れる人とそうでない人の違いになると思います。なので自主的にルールを守るためにはどうすればよいかを考えるために、この違いについて突きつめていきます。

◆思い込みから脱却する

同じ世界でも、他人と共に生きている世界と見る人もいれば自分が中心の思い込みの世界として見る人もいる。この違いを一言でいえば、「関心の位置」ではないかと思います。自分にも他人にも関心を持てるか、それとも自分だけにしか関心がないかということです。

世界を他人と共に生きる場所と思える人は、自分だけではなく他人にも関心や興味を持ち「自分は相手に何ができるか」を考えることができます。でも自分が中心の思い込みの世界で生きる人は、自分にしか関心が持てず「他人は自分に何をしてくれるか」と考えます。

「他人は自分に何をしてくれるか」と考えている人は、そのまま「社会は自分に何をしてくれるか」と考える。それではルールや規則を義務と捉え自主的に守ろうと思えないのは当然です。なのでまずは思い込みの世界から脱却することを考えなければなりません。

ではなぜ関心を他人に寄せることができずに思い込みの世界にこもってしまうのか。それを知るキーワードは「自己受容」になります。

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◆自主的にルールを守るための入口

他人に関心を持てずに自分にばかり関心を持つ。これはまるでナルシストのように自分が大好きな人のように見えるかもしれませんが、実はまったくの逆です。自分に自信がなく今の自分を好きになれず、周りが自分をどう見ているのかばかりを気にしてしまう。だから自分にしか関心が向かないんです。

今の自分の発言や行動はどう捉えられたか、今の自分の容姿はどう見られているか、自分の考え方は周りとずれていないか。常に傷つきたくない、恥をかきたくないと自分の尊厳を守ることばかりを考えてしまうということです。

自分に自信がないため、傷つかないように自分にばかり関心が向いてしまう。だから思い込みの世界という殻にこもり他人や社会に関心を持ち協力しようと思うことができない。だからルールや規則を自主的に守ろうと思えない。掘り下げ突き詰め考えていくと、すべての入口は今の自分を受け入れ好きでいれるかどうかです。

今の自分を受け入れるということは「今の自分のままでいい」と思えるということ。すると「相手も相手のままでいい」ということに気づき、不要に他人と自分を比較したり他人を敵視したりせず性格や考え方は違くても対等で平等ということもわかります。

すると尊敬・信頼・共感・協力・貢献・寛容・平等、そういった相手に関心を持ち相手のために何かをしようと思えるための様々な要素が生まれ、「思いこみの世界」から「他人と共に生きる世界」へと変わっていきます。

◆なぜ協力や貢献ができるのか

たとえば誰かを傷つけるということ。その理由が「自分の言うことを理解してもらえずついカッとなって暴言を吐いてしまった」だったとします。これは自分は正しくて相手が間違っているということを暴力的に強要するということ。

そして相手に賛同してもらわないと、自分の正義や価値を信じ認めることができない。そうした他人に依存してしまっている結果です。ここには自分は今のままでいいという意識も相手は相手のままでいいという意識もありません。これは自分にとって都合のよいルールでできた思い込みの世界を生きている人の考え方です。

対して、相手は相手の価値観や正義がありそれが自分と異なっていてもかまわない。食い違うのなら、暴力的にそれを押し通すのでも自分を否定し意見を引っ込めるのでもなく、先に自分が譲歩できるところを提示して妥協点を探っていく。これが他人と共に生きる世界を生きている人の考え方です。

社会とは自分以外の誰かと共に暮らす世界のことであり、その最小は「私とあなた」です。まずは今の自分を認め受け入れること。そして目の前の相手も同じように認め受け入れること。それができるから他人と比較したり競争したりせず協力や貢献をしたいと思えるし、そのためにはルールを守ることが必須条件であるということにも気づけるんです。

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「今のままの自分でいい」と「今の自分のまま成長しなくていい」はまったく違います。今の自分から成長するためには、人や社会との関わりが必須になります。そしてそれは同時に苦悩や不安や挫折などとも関わることを意味しています。

そのとき必要になるのが苦悩や不安を乗り越えるための活力や勇気。そしてそれらを得るために必要なのが「今のままの自分でいい」と思えることなんですそこから始めればいい、そこから始めるしかないと思えることなんです。

無理に肯定して疲れてしまうのではなく、独善的に開き直るのでもはなく、ただ自分の強いところ弱いところすべてそのままを見て、変えていけるところだけを良い方向に変えていく努力をする。そうして少しずつ成長を感じ自信が生まれ自分を好きになれる。

そのとき、自分はこの社会の中に居場所がありその中の一員であるという自覚も必ず生まれています。そしてルールや規則を守る必要性に迷ったり、それを破るという誤った自己主張をする必要もないとうことも理解できていると思います。

ルールや規則を自主的に守れるように、そして他人や社会に自分から協力したり貢献したいと思えるように、まずは今の自分を受け入れ大切にしてほしいと思っています。

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最後に

ルールや規則というのは人を縛り自由を制限させるものではありません。個人の自由や権利を最大限に行使できるように、そして幸せに暮らしていけるように人が使っているものです。

人間が個人で許される権利を理解し、そして自主的に権利主張に対する責任をしっかり負うことができればルールなどの強制力は不要かもしれないですが、残念ながら人はそこまで正しくも強くも完全でもありません。

なので個人が保護され認められるべき自由や権利を最大限主張できるように、ルールや規則が必要なんです。

その必要なルールを自主的に守るために必要なことは、「思い込みの世界」から脱却し「他人と生きる世界」を実感すること。関心の位置を「自分だけ」から「自分とあなた」へ変えていくこと。他人と関わるとき「この人は自分に何をしてくれるだろう」ではなく「自分はこの人に何ができるだろう」と考えられるようになることです。

そのために必須になるのが今の自分を認めて受け入れられるということ。自分を受け入れ認められるから、同じように相手のこともそのままの姿を見て受け入れられます。それが「思い込みの世界」から「他人と共に生きる世界」への入口になります。

ルールや規則を守ることとはつまり、他人と共に生きる世界を実感しそこに居場所を持ち自分もそこで生きていくということ。

もし目の前に守るべきルールがあり、それを守る必要性や目的がわからなくなってしまったとき。または周りで同じような人がいてその人と付き合いを続けなくてはならないときなど、今回の記事が手助けになれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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