こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。
つい感情的になり他人を傷つけたり自分を苦しめたりしてしまう。突発的な感情によって行動し後悔してしまう。多くの人がそんな体験をしたことがあると思います。
このように人間は感情に逆らえず、感情に従って生きるしかないのでしょうか。確かに子どもであればそうかもしれません。でも精神を持ち成長できる人間は、いつまでも感情に支配され続けるような弱い生き物ではありません。
どうして人には感情が芽生えるのか。そして感情を抑えるためには、感情的な自分を変えるためにはどうすればよいのか。
時に人を成長させ時に悩ませる「感情」。今回はこの「感情」についてじっくり考察していきたいと思います。ぜひ最後まで一緒に考えてもらえたら嬉しいです。
目次
感情との向き合い方
怒り、悲しみ、不安や恐怖。日常にはマイナスの感情が渦巻き、それは自分だけではなく周りにも感染していきます。
怒りが芽生え、悲しみが芽生え、その感情に任せて他人や自分を傷つける。不安や恐怖が芽生え、その感情に従って絶望的な未来を想像する。もしこれが真理なら、人間が感情に支配される生き物なら、これだけの発展を遂げることなくとっくに滅んでいるでしょう。
人間はとても弱い生き物です。ひとりでは生きられず、群れになってそれぞれ役割を担って全員が世界の中の一員として生きています。その一方で自分の世界を持ち、常に自分や他人に、そして世界に対して「こうなってほしい」「こうあるべきだ」という理想を見てそこから現実のギャップを感じながら生きています。
そのギャップの大きさに比例して揺れ動くのが人の感情です。明日晴れてほしいと強く思えば思うほど雨が降ったときの落胆は大きく、心から信じた人ほどその裏切りには強い怒りや失意を覚えます。
ひとりでは生きていけない弱い生き物である限り、そして常に理想や成長を求め現実と比較しながら生きている限り、人は感情から逃れることはできません。そして、その感情との向き合い方について理解があるのとそうでないのとでは生きやすさや世界の見え方が大きく変わってきます。
感情は心の中にはない
少しイメージをしてほしいのですが、たとえば誰かに理不尽なことを言われて腹が立ったとします。そのときに現れる「怒り」という感情は、どこにあるものでしょうか。ここの捉え方次第で、この後の行動が大きく変わってきます。
一般的には感情は心の中に芽生え、発散したり押し殺したりされていると考えられます。その感情に従って自分が考えたり行動したりしているということです。ただ、ここで視点を変えてみます。感情は心の中にあるのではなく、自分と相手の間にあると考えます。そして感情に従って人が行動するのではなく、相手に向けて人が感情を使っていると考えます。
理不尽なことを言われてそれに反論したい。自分が正しいということを相手に認めさせたい。そのために怒りを使います。それは心の中ではなく、自分と相手の間にそのときに生み出したものです。「心の中に芽生えた怒りに従って反論した」のではなく、「反論をしたいがために怒りをつくり出し相手に向けて使った」のです。
◆コントロール可能な感情
このふたつの大きな違いは、自分でコントロールできるかそうでないかということ。もし怒りが心の中に芽生えそれに従った行動しかできないのであれば、もうそれはどうすることもできません。感情に支配されるしかありません。
でも、相手との間に怒りをつくり出しそれを使っていると考えるとどうでしょうか。わざわざ怒りを使う必要がないということに気づけます。相手に自分の正しさを伝えるために、必ずしも怒りを使う必要はないということです。
感情は心の中で燻り続けるものでも、発散しないといつか爆発してしまうものでもありません。そのときそのときで自分と相手の間につくり出され、人が都合よく使っているものです。
おもちゃを買ってもらえない子供が駄々をこねて泣き出すのも、横暴な上司が部下に言うことをきかせるために圧力をかけたり叱責したりするのも、すべては感情に人が支配されているのではなく、人が都合よく感情を使っているだけなんです。それぞれ「おもちゃを買ってもらう」「言うことをきかせる」という自分の目的を果たすために。
これらの目的達成のために必ず涙や怒りが必要ということはありません。ただその方が早くて楽なんです。しっかり背景や理由を添えて言葉で説明するより、泣いてしまえば、怒ってしまえばよほど簡単に相手に気持ちを伝えることができます。
ただその代償は大きく、相手には「この人は感情的にしか気持ちを伝えることができない未熟で幼稚な人」という洞察が生まれます。恐怖に従ったり弱さに同情したりすることで相手はYesというかもしれないですが、そこに大切な尊敬や信頼などは生まれません。
感情は心の中に生まれ燻り続けるものではなく、その場に応じて都合よくつくり出され使われているということ。そしてそれは調整可能であるということ。そういった視点を持つだけで、感情的になったときの後の考え方や行動が大きく変わってきます。
感情を「抑える」のではなく「使わない」
ここからは、具体的に怒りや悲しみなどで感情的になってしまう自分を抑えるためにはどうすればよいか考えていきます。
まず、感情的になっている自分に気づいたら、感情を抑えようとするのではなく「使う必要がない」という意識に素早く切り替えること。先ほども見たように、その感情は相手に向けて自分の主張を通すため、自分の正しさを伝えるためにつくり出され使われようとしているものです。
◆感情を「使わない」ということ
たとえば感情的になった理由が「自分の大切な人の悪口を言われた」だったとします。このとき相手に対して感じたことや伝えたいこととは、このようなことだと思います。
※仮に大切な人をAさんとします。
・Aさんは悪口を言われるような人ではない
・Aさんの悪口を言うのはやめてほしい
・あなたはAさんのことをどれくらい知っているのか
・そんな言い方をされて自分は傷ついた
・あなたがそんなことを言う人だと知って落胆した
そしてこれらの気持ちによってつい感情的になり、相手に言い返したくなっている自分に気づいたとします。このとき必死に感情を抑えようとした場合はどうなるでしょうか。
顔は笑っていても怒りの空気がにじみ出てギクシャクした雰囲気になります。そして自分に被害者意識が生まれ、相手を敵と考えるようになります。または「Aさんの悪口を言われたまま言い返せなかった」という罪悪感が生まれるかもしれません。
それでは感情を「抑える」のではなく「使わない」と考えた場合はどうでしょうか。このとき、怒りを使う理由は「相手に感情的に言い返すため」「自分は正しくて相手が間違っていると認めさせるため」です。それぞれの目的達成のために、都合よく怒りを使おうとしているだけです。
・Aさんは悪口を言われるような人ではない
・Aさんの悪口を言うのはやめてほしい
・あなたはAさんのことをどれくらい知っているのか
・そんな言い方をされて自分は傷ついた
・あなたがそんなことを言う人だと知って落胆した
これらを相手に伝えるためには必ず感情的になれなければならないでしょうか?そんなことはありません。その方が手っ取り早く簡単に相手を支配できるから、ただ感情を使おうとしているだけなんです。更には、感情的な勢いに任せるより、冷静に自分の気持ちを伝える方が相手の心にも響きます。
「Aさんはそんな人ではないよ。Aさんは自分にとって大切な人で、悪口を言われると傷つくのでやめてほしい」「あなたがそんなことを言う人だとは思わなかったから、がっかりした」という風に。会話の主導権、支配服従の関係性、正義のぶつかり合いといった余計なものが入り込まず、ストレートに相手に気持ちが伝ります。
◆豊かな日常と人間関係のために
感情を使わないというのは、自分の意見を殺したり相手の意見にすべて合わせるということではありません。自分の気持ちを論理的に言葉で伝えて、多少時間や労力がかかっても感情的にならず理解してもらうための努力をするということです。
今回はわかりやすく「怒り」の感情を例にしていますが、悲しみや不安や恐怖などもすべて同じです。そのような状態の自分に気づいたら、「何のために」その感情を使おうとしているのかということ考える。そしてその目的達成のためには必ずマイナスの感情を使う必要はないということを知る。
それだけで感情を押し殺したり相手に無理やり合わせたりしなくて済むようになり、ストレスも激減し豊かな日常・人間関係に変わっていくと思います。
人間は生物的にはひとりでは生きられない弱い存在です。でも人間には精神があり、感情に支配され本能のままにしか行動できない幼い自分から成長していける強い生き物です。
感情的になりやすいという本当の意味は「感情を使うクセがついてしまっている」ということです。イライラを感じて溜め込まないように次々と発散したとしても、それは何の解決にもなりません。何のためにイライラするのかという理由と向き合わない限り、ただ怒りを使うクセがついてしまうだけです。
そうではなく怒りの目的が手軽に自分の気持ちや意見を押し付け相手を支配することだと知って、「怒りを使わないで相手に伝える」という選択肢を考えてほしいのです。
感情的な自分を変えることは誰にでもできます。特別なスキルや心理療法などが必要なわけではなく、変わる努力をするかしないかという自分の意志ひとつです。
今回の内容が明日からの新しい自分に変わるための手助けになれたら嬉しいです。
最後に
人間はひとりでは生きていけないから、世界の中、人の中で生きる。そしてその個人個人は常に理想や成長を求め現実と比較しながらそのギャップを感じながら生きる。そこで生まれる感情は人間と切り離すことはできません。
ですがその感情との向き合い方をしっかり理解することで、世界の見え方やその中での生きやすさが大きく変わってきます。
まず最初に、感情は心の中に生まれ燻り続けるものではなく、その都度自分と相手の間につくり出し使っているものと考えます。嫌なことを言われたとしたら、そのとき自分と相手との間に怒りや悲しみをつくり出し、それを使って相手に訴えかけようとするということです。
そう考えることで、「抑えられない感情」などというものはなく、常に自分の意志でその感情を都合よく使っているという見方ができるようになります。
感情を「抑える」のではなく「使わない」。そして、自分は「何のために」「何がしてくて」この感情を使っているのかに気づく。ぜひこの視点の変化をもって、これまで感情的になってしまっていた自分と向き合ってもらえたらと思います。
その変化と一緒に、人間関係によるストレスや自己嫌悪に陥ったり他人を敵視したりすることのない豊かな日常へと変わっていくことを願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。