こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。
今回は「思い込み」について。思い込みが激しい人が危険視されるのはなぜか、思い込みをなくす方法はあるのか、そもそもどうして人は思い込みをしてしまうのか。
そして誰もが持つ自分なりの思い込みとどうやって付き合っていけばよいのかについてなど、今回もじっくり考えていきたいと思います。ぜひ最後までご一緒に考えてみてもらえたら幸いです。
目次
「思い込み」をなくすことはできない
人は小さい頃からの成功・失敗体験により自分自身で性格や信念、世界観をつくり出し、誰もがそれらに従って生きています。そして「思い込み」とはその性格や信念、世界観に従って生まれるものです。どんな人でも性格や信念がある限り、その人独自の思い込みから逃れることはできません。
思い込みとは言い換えれば、「きっとこうだろう、こうなるだろう」という自分なりの予測・予言。その予測はやはり自分の性格や信念に従って行われます。人の思い込みは、自分の性格や信念が変化しないよう固定され維持し続けるように、自分にとってプラスになるからこそ行われているものなんです。それがたとえ良いものでも悪いものでも。
◆なぜ性格や信念を固定したがるのか
少し話がそれますが、ではなぜ性格や信念を変化させたがらないのかといえば、性格や信念が変わってしまうと自分なりの予測や予言ができなくなってしまうからです。
たとえば今ここで突然大声を出したらどうなるか?仕事を突然やめてしまったらどうなるか?今の自分であればこの後どうなるかがおおよそ予測ができると思います。ただここでまったく違う性格や信念になってしまったら、その後どうなるかわからないしどうすればよいかもわからなくなります。
そうならないように、保守的で臆病な人間は一度つくられた性格や信念をできればいつまでも変わらないようにと無意識的に維持する努力を続けます。この「思い込み」は、そんな性格や信念に沿って生まれているんです。
性格や信念、世界観などが人にある限り、そしてそれらを維持する習性がある限り、人の思い込みもまたなくなることはありません。
◆思い込みは自分のために行われる
思い込みはいつも自分のプラスになるからこそ行われています。その思い込みが良いものや悪いものに関わらず、それは必ず自分にとってためになるから行われているものです。
いくつか例を見ながら考えてみます。
①も②も、意識的にはきっとつらい状況だと思います。でも、その状況を「つらい」と捉えているのは他でもない自分自身。そしてなぜ「つらい」と捉えるかというと、そうすることが自分のためになる、つまり自分の性格や信念を維持し固定するために必要なことだからなんです。
①の人は、そうして誰も自分のことを好きにならないと思い他人から距離を置けば、自分の殻にこもり面倒くさい人間関係から遠ざかることができます。②の人もそうして周りからの軽蔑や皮肉を感じていれば、自分を戒め「罪悪感に苛まれたかわいそうな自分」をアピールし続けることができます。
どちらも健全でない姿なのは間違いないですが、それでもその人たちにとっては自分のためになることとして行われているんです。そうして思い込みは思い込みのままずっと機能して、いつまでも性格や信念を固定し続けるための道具として使われ続けます。
なぜ「思い込み」は危険なのか?
それでは続いて、なぜ思い込みは危険なのか、思い込みはなくした方がいいと言われるのかについて考えていきます。
それは一言でいえば「いつの間にか自分が世界の中心になってしまうから」ではないかと思います。思い込みとはつまり自分の中にある自分だけの世界で物事を判断すること。思い込みが激しい人というのは、現実の世界と自分だけの世界との境界線がもろく薄い人です。ここに強すぎる思い込みの危険性があります。
自分だけの世界ではもちろん主人公は自分自身。自分中心に世界が動きます。自分の喜怒哀楽で世界の表情も変わり、周りの人は自分のために何かをしてくれる人です。そんな自分だけの世界と現実世界の境界線がなくなってしまったとしたらどうなるでしょうか。
自分のために動いてくれない周りの人に憤りを覚え、自分に強制・強要をしてくるルールや規則を平然と破ります。なぜそんなことをするかというと、その人はこの現実社会で自分の「思い込み」の世界の中に生きているからです。
当然その人は相手にされなくなり孤独になり、不幸な人生になっていきます。共感や協調性が失われ人の気持ちやルール・規則の必要性がわからなくなり、自分本位で独善的な生き方しかできなくなる。そのため自分で居場所を放棄し孤独を招いてしまう。
上の①②の例もそう。①の人は「人から嫌われている」という思い込みから人間関係を避けるようになり、引きこもりになるかもしれません。または周りを常に敵視し攻撃的な人になるかもしれません。②の人は、何かと被害者である自分を訴える責任感のない人になるかもしれないし、①と同じように他人は敵という信念を持ち平気で人を陥れたり踏み台にするようになるかもしれません。
あまりに強い思い込みがあると、自分本位で自己中心的、そんな自分の世界の中だけで生き続けることになる。そして最終的には不幸な人生になる。これが思い込みが危険と言われる理由であり、そういった人の末路になるのではないかと思います。
思い込みとの付き合い方
それでは、決してなくすことができない思い込みとどのように付き合っていけばよいのか。最後にその方法について考えていきます。これはいくつか段階を踏むとわかりやすいと思います。
①今の考えは自分の思い込みであると自覚する
②思い込みの目的を考える
③起こった出来事をそのまま受け入れる
④関心を自分から相手に向ける
③④は自分の思い込みから相手との共通する意識へと変えていく段階ですが、そのためには①②の段階をしっかり踏む必要があります。ここでは例として「自分はAさんに嫌われている」と思い込んでいるということを前提に、ひとつずつ見ていきます。
◆①自分の思い込みであると自覚する
たとえばAさんから嫌味を言われたり理不尽な仕事を押しつけられたり、陰で文句を言われていたことを知るなどの事実があったとします。そこでやはり「自分はAさんから嫌われている」とついつい思い込んでしまいます。
ここでまず最初にすべきことは、その考えはあくまで自分の思い込みであることをしっかり自覚すること。どんな人も思い込みの世界で生きていて、自分も勝手に思い込みの世界の中からAさんを見ているとを自覚をすることです。
◆②思い込みの目的を考える
続いては、自分はなぜそう思い込む必要があるのかを考えます。人はどんなときでも自分にとってプラスになるように考え行動します。先ほども書いたように思い込みも例外ではなく、自分にとってプラスになるからこそ行われます。自分から積極的にみじめになったり不幸になろうとする人はいません。
では「Aさんに嫌われている」と思い込むことで、自分にとってどんなプラスがあるのか。どんな目的を果たそうとしているのか。それを考えていきます。
たとえばAさんから嫌われていると思うと、自分のその後の行動はどうなるでしょうか。おそらくAさんを恨んだり恐れたり悲しい気持ちになったりして、Aさんと距離を置き関わらないようになっていくと思います。それがその思い込みの目的です。
Aさんと距離を置きたくて、積極的に関わらなくて済むようにしたい。そのためには「自分はAさんから嫌われている」と思い込めばいい。これがその思い込みの目的なんです。
普通に考えれば「Aさんから嫌われたから距離を置く」というのが正しい順番のように感じますが、実はそれはまったくの逆で、以前からAさんと距離を置くための準備をしていて、今回の出来事はただその引き金にすぎなかったということです。
Aさんと関わらないようにしたいという前提となる目的がある限り、おそらく他の出来事であってもAさんと距離を置くための口実として使っていたでしょう。このように、なぜ自分はそう思い込むのか、何のためにそう思い込む必要があるのかという目的を考えます。
この目的をしっかり考えられれば、自分の意志によるものということが理解できて、おそらく自分の思い込みに対して憂鬱になったり不安になったりすることもないかと思います。それでは続いて③を見てみます。
◆③起こった出来事をそのまま受け入れる
「そのまま受け入れる」とは、主観を介さずに出来事をただの事実として受け入れるということです。今回の例でいえば、Aさんが自分を嫌っているという事実をそのまま素直に受け入れるということ。抵抗もせず原因を探そうともせず、ただその事実を受け入れます。
これは、なぜ自分はそう思い込む必要があるのかという②が理解できていないとできません。「自分はAさんと距離を置くために嫌われていると思い込んでいる」という自覚がないければ、きっと「なんで嫌われないといけないのか」「私が何をしたというのか」「嫌ってくるAさんが悪い」とこのような発想ばかりが浮かんでしまうと思います。
そのような発想が生まれてしまうのは、自分の理想と現実とのギャップ、つまり劣等感に耐えることができないからです。その劣等感を埋めるために、被害者の自分をアピールしたりAさんに怒りを覚えたりします。
ただ、その思い込みの目的が「Aさんと距離を置き関わらないようにするため」と自覚できていたらどうでしょうか?たとえ自分が嫌われているという事実を前にしても、「それは自分がAさんを遠ざけようとしているからだ」と別の視点から見ることができるようになります。
◆④関心を自分から相手に向ける
そして最後に関心を自分から相手に向けていきます。人が思い込むとき、決まってその関心は自分にあります。〇〇が自分を非難する、〇〇が自分に優しくしてくれない、〇〇は自分にとって不都合である。そうやってあくまで自分にとっての周りがどうであるかという材料をもとに思い込みが生まれていきます。
そうではなく、自分を非難する相手、自分に優しくしてくれない相手、自分にとって不都合な相手。その相手に対して関心を向けていくんです。どうしてこの人は自分を非難するんだろう、優しくしないんだろう、不都合なことをするんだろう、というように。
よく聞く言葉でいえば、できるだけ相手の立場になって考えるということです。「相手から嫌われている自分を見る」のではなく、「自分を嫌っている相手を見る」ということです。そうすると何が起こるか。
するとそこにまた新たな別の思い込みが生まれるんです。ただそれは、これまでのような「自分は嫌われている」「自分は被害者だ」「自分はかわいそう」というものではなく、「あの人はきっとこういう事情で自分を嫌っているんだ」「同じ境遇なら自分も同じことをしていたかもしれない」というような関心が相手に向けられたものです。
それは自分の思い込みでありながら、同時に「共感」と呼べるものではないかと思います。相手に関心を持ち本当に共感の姿勢が持てているのであれば、たとえ自分が嫌われているという事実があったとしても、そこに自分がどんな意味を与えるかがまったく変わってきます。
そしてただ被害者意識をもっていじけたり恨んだりするだけではなく、嫌われていることを受け入れるのか、それとも関係改善に向けた働きかけをするのかなど建設的な思考や行動ができると思います。
自分の思い込みと自覚した上で、その思い込みの目的を考える。それがわかったら一度先入観なしに起こった出来事をそのまま受け入れ、相手に関心を持って共感する努力をしてみる。「誰かから嫌われている」と感じてしまう場合には、ぜひ試してみてほしいです。
最後に
性格や信念がある限りなくすことはできない思い込み。その思い込みはいつでも自分にプラスとなるからこそ行われています。その内容の良し悪しに関わらず。
ただ思い込みの世界と現実世界の境界線が薄くなるにつれて、自分中心の思い込みの世界から現実を見るようになり、「自分が世界の中心」と考えてしまいます。そしてその末路は決まって不幸なもの。
そうならないように、自分も周りも自分だけの思い込みの世界で生きているということをしっかり自覚し、何で自分はそう思い込む必要があるのかということを一度止まって考えること。
そして起こった出来事に対して先入観も感情も一般的回答も介さず事実そのままに受け入れ、「嫌われている自分」ではなく「自分を嫌っている相手」を見て共感を寄せていくこと。
もちろん修復する必要がない、修復したくもないと感じる相手であれば、バッサリとこちらから関係を断ってしまうのも自分の自由です。ただ自分は嫌われていると思い込み、感情的になっている状態で冷静にその判断をするのは難しいでしょう。
なので、まずは①~④について考えてみてほしいと思います。そして思い込みによりかけがえのない今が曇らないように、負けずに現実の世界と向き合っていけることを願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。