こんにちは。
心理カウンセラーの幸跡です。
「他人に興味を持ちましょう」「周りのことに関心を持ちましょう」。
誰もがそう教育を受けて大人になります。ただそれはあくまで道徳上の独り歩きとなり、なぜ他人に興味を持つべきなのかなぜ自分にばかり興味を持っていてはいけないのか、その理由までしっかり考える機会は少ないのではないかと思います。
今回は、なぜ他人に興味を持つべきなのか、また無理にではなく自然と他人に関心を寄せていくにはどうすればよいかなど、自分にしか関心がない人の共通点も見ながら考えていきます。
誰かに「もっと人に興味を持った方がいいよ」なんて言われたことがある人も、誰かに関心を持とうとすると不自然になったりこれは本心ではないと感じてしまう人も、ぜひ一緒に考えてもらえたらと思います。
目次
なぜ他人に興味を持つべきなのか
自分にしか興味を持てない、他人に興味が持てない。道徳的・一般的には他人に興味や関心を持つことが良しとされ、自分にしか興味が持てないと聞くとどこか自己中心的な印象を持ったりもします。
しかし自分に興味や関心を持つということは、悪いこと、批判されることなのでしょうか?自分への関心が強い人は、脇目をふらず自分の夢や目標に邁進できます。人より自分を見つめ直す機会が多く自分の強みや苦手な部分と向き合うこともできます。
自分に興味を持ち関心を持つこと自体は健全なことで、悪いことでも批判されるようなことでもありません。ではなぜ、自分よりも他人に関心を持ちましょうと言われるのでしょうか。
◆悪いことではなく損なこと
それは、他人に興味を持てないということがこの世界を生きていく上で損なことだからです。悪いことなのではなく人生を生きにくくしてしまう損なことだからです。
どんなに能力がある人でもどんなに裕福な人でも、人と人の間、社会の中で生きていくことになります。どんな仕事にも分業体制があり、交通規則や会社・学校の規則などのルールも守り、問題が起きたときには法律や一般的な常識による判断からその過ちを正し、どんな悩みだって最終的には人がつくるこの世界の中から生まれます。
無意識のうちにどんな人でもルールや決まり事を守り、法律や常識に従い、人の間で生きていくことを了解して生活しているんです。そこには周りの人たちを信じないという選択肢はなくて、常にお互いを信じ合いながら生きています。
誰もが人がつくった社会を信じ周りの人を信じているから、青信号は渡れるし、レストランで食事もできるし、体調が悪くなったら病院に行くし子どもたちは学校へ通えるんです。
ひとりでは生きられず、人を信じないという選択肢もなく、人は社会の中でしか生きられない。その中で他人に興味や関心を持たないというのは、理に反したことであり毎日を生きにくくしてしまう損なことです。悪いことではなく、ただ損なことなんです。
◆他人に興味を持つとはどういうことか
他人に興味や関心を持つとは、その人を無理に好きになったり友達になろうとすることではなく、行きたくもない飲み会に付き合ったり社交的に振舞うようなものでもありません。その人の言動を否定したり疑ったりせずただ理解しようとすることです。
更に言えば、その人が興味を持っているものや関心があるものに対して自分も興味を寄せるということです。先入観を持ったり自分の主観というフィルターを通して勝手に判断したりせず、その人が自分自身や世界をどう見ているかということを理解して受け入れる努力をすることです。
もし他人に興味を持てないことに悩みこの記事を読んでいる方がいたら、まずは相手が何に興味を持っているのか、どんなことに関心があるのかを知り、それについて自分も興味を持ってみるということをおすすめします。
自分にしか関心がない人が持つ共通点
続いて自分にしか関心がない人の共通点について考えてみます。まず「自分に関心がある」ことと「自分にしか関心がない」ことでは根本的に違います。大きな違いは根底にある強い劣等感の有無とその使い方です。
自分にしか関心が持てないのはなぜか、それは周りにどう見られているかばかり気にしてしまうからです。そしてなぜ周りの目ばかりを気にしてしまうかというと、それは自分に自信がなく自分を受け入れることができず、そんな自分と周りを常に比較し強い劣等感を隠し持っているからです。
そしてそんな強い劣等感を持っている人が他人に興味を持とうとしないことにも、しっかりその目的があります。
◆他人に興味を持たない目的
その目的の多くは、人との関りを避け隠し持っている劣等感を悟られないようにするため。人に興味を持たなければ人と関わらなくても済むし、そうすることで自分の世界の中だけで生きていくことができます。
自分に関心があり他人にも関心を持てるという人は、自分は自分、他人は他人ということもそれぞれ違うけど対等であるということもわかっています。そのため劣等感を言い訳にしたり他人にそれをぶつけたりすることもありません。
ただ他人に関心が持てないという人は、常に自分と周りの人を比較し競争意識を持ち自分の弱いところを見せないように努めます。
その結果、強い劣等感を言い訳や正当化に使い問題を回避しようとしたり現実から目を背けようとしがちです。人間関係で傷つくくらいなら自分の殻にこもる方がいいと決断しその目的のために他人に興味を持たなくなっていきます。
◆自分にしか関心がないことの危険性
また、自分にしか関心が持てない人にはある共通する危険性があります。それは必ず最後は孤独を招くということ。
自分にしか関心がない人が孤独になるまでの道筋をざっと考えてみます。
①自分にしか関心がないため他人と自分が同じ世界で生きているという意識が持てない
②その内自分の世界の中で生きるようになり自分がこの世界の中心だと思ってしまう
③自分が世界の中心なので周りは自分を際立たせる脇役、何かをしてくれる人という認識になる
④周りが自分の為に何もしてくれないことに対して理不尽に憤慨したり裏切られたような気分になる
⑤周りへの態度が威圧的になったり逆に卑屈になったりして、嫌われ孤独になっていく
⑥そんな自分が嫌いになり更に他人に興味を持てなくなる
このような人が身近にいたらどうでしょうか。仲良くなりたいとは思わないですよね。先ほども書いたように人間はどうしても社会の中でその一生を過ごさなければなりません。そのとき、孤独を招く「他人に興味が持てない」ということには自分の居場所や価値を見失う危険性があり、これも他人に興味が持てない人の共通点になるかと思います。
相手の興味があることに関心を持つ
それでは、具体的に他人に興味を持つためにはどうすればよいのか。誰かに興味を持とうとするとき、ついつい意識してしまいがちなのが容姿や性格やその人の考え方などです。それを基準に誰かに興味を持ったり興味を失ったりします。
ただこの考え方では、本当に誰かに興味や関心を持つことはできません。なぜなら、それは「こうあってほしい」という自分の理想を基準に相手を見ているからです。
こんな容姿であってほしい、こんな性格であってほしい、こんな考え方であってほしい。そしてそれに当てはまるから興味を持つ、それに当てはまらなければ興味が湧かない。つまりそれは条件つきであって、言ってしまえばこれも相手を見ているようで自分を見ていて、相手に関心があるのではなくあくまで関心が自分にあるということです。
◆興味を知ることで生まれる良好な人間関係
そうではなく、もっとシンプルにその人が興味関心を持っているものに対して自分も興味を持ってみます。その人が好きなお笑い芸人がいるなら、自分もそのお笑い芸人の動画などを見てみる。その人が自分の全然知らない分野の習慣があったとしても、一度自分もその分野について調べてみる。
これはそのお笑い芸人や知らない分野に興味があるから見たり調べたりするのではありません、あくまでそれらによって毎日を豊かにしているその相手に興味があるからしていることです。
そうすることで、どうしてその人はそれが好きなんだろう、この分野が好きということはきっとこんな考え方や信念を持っているのかもしれないという「その人自身」がぼんやり見えてきます。それを踏まえてその相手と話したり接するだけでその人との人間関係は間違いなく良好になります。
◆接し方を変えることは悪いことではない
よく「人によって態度や接し方を変えるのはよくない」ということを耳にします。これがたとえば強い人には服従し弱い人には傲慢になるのはよくない、というような人の価値や尊厳に対する意味で使われるならわかります。
ただ、何かをお願いするときやメッセージを伝えるとき、自分を理解してもらおうとするときや相手のことを教えてもらうとするときなど、人とのコミュニケーションにおいてはそれは悪いことではありません。むしろ相手を気遣える長所になるのではないかと思います。
人によって関心ごとや興味を持っているものは異なり、それはその人によって性格や世界観が違うということを示しています。
たとえば概要と結論だけを知りたい人もいれば、その背景や経緯もしっかり聞きたい人もいます。そのふたりに対して何かをお願いするとき、当然接し方や選ぶ言葉なども変わってきます。
または、結果を重視し最短距離で進みたいという人もいれば、みんなで協力しながらその過程を重視する人もいます。そのふたりに対して何かメッセージを伝えるなら、その人たちが重視している部分を際立てて伝えた方がそのメッセージは深く刺さると思います。
このような接し方ができるのも、他人に興味を持つことができるからです。
自分を認め受け入れる
相手が興味を持っていることに自分も関心を向ける。そのために必要なことは、何よりもまず自分を認めるということです。無理に正当化をしたり自分はできると暗示をかけるのではなく、このままの自分でいい、ここから少しずつ成長していけばいいと今の自分を受け入れることです。
自分を認められず好きになれないから周りの目が気になってしまう、周りの目が気になると自分にばかり関心が向いてしまう。そして自分でも嫌いな自分を他人が好きになるはずないと周りを信頼できなくなる。
これでは他人に興味を持つことはできないし、その関心はどんどん自分にばかり向けられてしまいます。自分の心が豊かな人だけが本当に誰かを幸せにしたり救うことができます。それは、同じように自分の心が豊かな人だけが本当に他人に興味を持つことができるからではないかと思います。
そして自分を受け入れることと他人に興味を持つことは別々に存在しているものではなく、同じもののただのひとつの側面です。
自分を受け入れられるから自分と他人とは違うことを自覚し本当に他人に興味を持てるようになるし、他人に興味を持てるからそこから発展した良好な人間関係によりもっと自分を受け入れられるようになるんです。
「自分は人に興味を持てない」「自分にしか関心がない」と思い込んでしまっている人は、無理やり誰かに興味を持とうとせず、ぜひ難しいことを考えずにまずは今の自分を認め受け入れることを考えてほしいと思います。
最後に
自分にしか興味が持てない、他人に関心を持てない。これは悪いことでも周りから批判されることでもありません。この世界を、人生を生きていく上で損なことだと自分の中で気づきがあり自発的に変わっていくものです。
その気づきはたとえば誰か愛する人ができたときかもしれないし、目指すべき目標が見つかったときかもしれません。明日明後日にくるかもしれないし、1年後かもしれません。ただ、それに気づくためには前提としてそれをキャッチするためのアンテナを張っておく必要があります。
今回の記事がそのアンテナを張るための手助けになれば幸いです。無理やりではなく自然に他人に関心を持ち、そしてその結果良好な人間関係からもっと自分が好きになれる。そんな毎日になることを願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。